第17章 月に叢雲、花に風
日中よりはだいぶましとはいえ、まだ暑い時分だ。今日はひたすら色んな勉強をしていた所為で少し疲れているらしく、今からもう一度机に向かう気にはなかなかなれない。
(そういえば…光秀さんと夕餉食べるの、少し久し振りかも)
ここ最近は特に忙しいらしく、朝餉は共に食べる事がほとんどだが、夕餉は別々で食べる事が多くなった。(むしろ光秀は夕餉を食べているのかすら分からない)城の書庫にこもる事が多くなり、帰って来ても文机の前で文やら書簡やらの整理をしている。家賃はしっかりしているらしく、凪が目覚める頃には光秀は先に起きて褥にゆったり横になっている為、どうやら睡眠は取れているようだった。
少し前まではちまきが庭先に遊びに来ていた為、ちまきを撫でて癒やされていたのだが、気まぐれな白い狐はふわりと姿を消してしまっている。
庭先から空へ視線を移し、そうしてしばらく涼む意味も含め、ぼんやりとしていた凪の元に、遠くから近付く微かな足音が聞こえた。この棟には光秀の自室兼凪の部屋、そして数室の物置しかない為、おそらく光秀が帰って来たのだろう。襖の前に立ち、断りもなく開かれた襖の音を耳にし、凪が背後を振り返った。
「お帰りなさい、光秀さん。思ったよりも早かったです……ね?」
「………おや?」
襖を開けて室内へ踏み込んで来た人物と凪の視線がばちりとぶつかり合う。光秀が帰宅したと思って笑みを浮かべ、声をかけた彼女は中途半端なところで尻すぼみになり、最後には疑問符を浮かべた。対して相手も縁側に座りつつこちらを振り返る凪を認め、微かに眼を瞠った後で短い言葉を発する。
互いに見つめ合う事数秒、最初に反応を示したのは凪だった。
(誰!!!?)
ぎょっとして相手を注視してしまったのも無理はない。
心の奥底で激しい疑問を抱きつつ、しかし彼女は咄嗟の事ではあるが、警戒を見せる事は出来なかった。何故なら、部屋へ問答無用で立ち入ったその人物は─────おそろしい程、光秀に面立ちが似ていたのである。