第16章 掃き溜めに鶴
【みつひでさん すこしだけ じかん だいじょうぶですか】
少しぎこちなく書かれて行く文字は、筆談のようなものだった。てっきり誰かの名を書くのかと思っていた光秀は些か予想外の行動へ微かに目を瞠り、その後でああ、と短く肯定する。
光秀の返答を聞き、安堵を面持ちに浮かべた凪は、墨をつけ直した後で、再びその続きを書いた。
【かんじのよみかた ちょっとだけ おしえてほしいです】
書ききった後、傍に居る光秀へ顔を向けて窺うように軽く首を傾げた凪を目にし、くすりと小さな笑いを溢した光秀は、彼女の手からするりと筆を取り、先程したように墨をつけ直した。
【かまわない】
紙の端に流暢な仮名が記されていく。その返事を目にし、嬉しそうにはにかんだ凪を見て金色の双眸を和らげ、光秀が硯へ筆を一度置いた。
「では体勢を変えるとしよう。凪、少し横へずれろ」
「…?はい」
何をどう体勢を変えるのか分からず、疑問を過ぎらせつつも相手の言う通り横へずれた凪を他所に、光秀は文机との間隔を少し空けて座布団の上へ改めて胡座をかく。その後で自らの膝をとんとん、と叩き凪へ間に収まるよう行動で促した。
「え!?何でそんな体勢!?」
「この方がよく見えるだろう」
「横からでも普通に見えますよね…!?」
「いいからおいで。紙は一度変えた方がいいか」
「私の意見は無視……」
光秀がかく胡座の間へ収まれとは何事か。そもそも読み方を教えて貰うだけでそこまでの体勢になる必要性を微塵も感じる事が出来ず、思わず突っ込んだ凪に対して、光秀はまったく動じない。むしろ反論している凪が可笑しいと言わんばかりにさらりと無視し、筆談に使っていた紙を外して端に置き、新しい紙を出して文机へ敷いた。
がくりと肩を落とした凪は、どうあっても聞いてくれそうにない気配に若干諦めを覚えて溜息を漏らす。
まあ今回は凪自身が頼んだ事だ。ここは教えて貰う側の立場としてこれ以上の文句は言うまいと意を決し、おずおずと光秀の胡座の間に収まる。