第16章 掃き溜めに鶴
片手で反対の耳も同じように露わにし、指先で耳朶を軽くぴん、と弾きながら囁き落とした方の耳縁へ唇を寄せる。唇でその輪郭をゆっくりなぞるようにしてから零せば、凪が堪えきれないといった様子で小さく声を上げ、とうとう紙を覆い隠していた両手を退け、自身の両耳を庇うように塞いだ────その瞬間。
「……………」
「あっ、しまった…!」
耳朶から指先と唇を離し、凪が何やら懸命に隠していたものを視界に捉えた光秀が僅かに言葉を失い、対する凪は術中にはまって手を退かしてしまった事へ声を上げた。
紙面の中央には、書状を書く時と同じくらいの適度な大きさで文字が綴られている。慣れないながらも必死に練習したのだろう事が窺える文字は存外様になっており、光秀の目から見ても悪くはない。しかし、問題は綴られていた文字だった。
【あけち みつひで】
平仮名で書かれていたそれは確かに光秀の名であり、何故練習する際に自分の名ではなく、光秀の名なのかと問いたい気持ちもあったが、男にとっては無性にそれが可愛らしく思えてしまったのだ。
「…くっ…」
「!!!わ、笑わないでください…!だから見せたくなかったんです…!!」
喉奥で押し殺しはしたが、それなりに音となって漏れてしまった低い笑い声が背後から響いた事に眉根を寄せ、凪の顔が真っ赤に染まる。橙色の炎の灯りの所為ではなく、彼女自身が発する赤だと確かに見て取れる様はどう見ても羞恥に震えていた。もうやけくそになったらしい凪が開き直る様に、光秀はひとしきり笑った後でそれを収め、すっかり不機嫌になってしまった凪の頭を宥めるよう撫でる。
「これはすまない事をした。家主の名を書くとは、なかなか愛らしい間借り者だな。いや、【るーむしぇあ】だったか」
「絶対馬鹿にしてますよね!?」
くつくつと収めた笑いを再度漏らして告げれば、頭を撫でる男の手を払って凪が顰め面を見せた。