第16章 掃き溜めに鶴
「ああ。お前達の分はあるのか?」
「凪様へお届けしてからいただきます。念の為ではありますが、毒味も済ませておりますのでご安心ください」
「そうか、後で浅次郎には俺から声をかけておく。凪には俺が持って行こう」
浅次郎は元々農民の出であり、実家は梨や柿といった果物類を育てているらしい。よく時期になると農民の息子を取り立ててくれた礼と言って果物を送ってくれていた。
九兵衛の言葉へ頷いた光秀は、盆の上に乗った梨を一瞥し、静かに告げる。主君の言葉を耳にし、少しだけ微笑ましい心地になった九兵衛だが、あまり表に出すと主君の不興を買ってしまう為、そっと心の奥底へ押し込めた。低頭しつつ盆を差し出せば、光秀が短い礼を紡いでそれを受け取る。用件はどうやらそれだけだったらしく、九兵衛は再度折り目正しい礼をして静かに襖を閉ざした。
凪の部屋へ繋がる襖は現在、すべてが閉ざされた状態となっている。閉め切った状態だと、思いの外互いの部屋の音は聞こえないものだ。だが生憎と光秀は物音などに過敏な方であり、先程彼女がうっかり溢した一言もしっかりと男の耳に届いている。
硯で墨をするような音や紙の音、それ等が微かに聞こえた事で、凪が何らかの書き物をしているのは明らかであった。
盆を傍らに置き、急ぎではない書きかけの書簡を乾かす意味も込めて端へ寄せ、文机の上をある程度整理した後で光秀は引火しないよう文机に置いた燭台の炎を片手で扇ぐようにして消す。盆を手にして立ち上がり、片手で部屋の障子を閉ざした後、凪の部屋に繋がる襖の前へ立った。
「凪、入るぞ」
部屋主の許可を得ず襖を開けるのは相変わらずだ。彼女の返事があるよりも早く、言い切ったと同時に閉ざされた襖を開けた光秀を見て、凪は慌てた様子で顔を上げる。
「み、光秀さん…!!?」
何故か上擦った声を上げ、手にしていた筆を硯に置くと咄嗟に文机の上を隠そうとした。しかし書いたばかりらしいそれはまだ墨が完全に乾いておらず、本人もそれが分かっている為、しっかりと手で覆う事も出来ないまま面持ちに焦燥を滲ませる。
その様子に片眉を持ち上げた男が、後ろ手に襖を閉ざしながら首を傾げた。