第16章 掃き溜めに鶴
光秀の発言に些か呆れを含んだ半眼になった家康は、特に反対する理由もないのでそのまま瞼を伏せ、問いかけに対して了承を示した。騎乗し、他の兵達の様子を見回した家康は行きとは異なる感覚に内心で眉根を寄せる。
たかが一度乗せただけだというのに、何故か妙に落ち着かない。それの理由が、光秀の馬に乗せられた凪の存在だという事に気付きながら、彼は何気ない風を装って医療兵達に声をかけた。
「じゃあ先に戻ります」
「ああ、凪が世話をかけた」
「…いえ、自分で引き受けた事なので」
先に医療兵達と共に発つ旨を伝えた家康へ、光秀が労いと感謝を込めた短い言葉を伝える。それを耳にし、一瞬黙り込んだ家康はすぐに緩く首を左右へ振り、馬を走らせて先に出発した。
「という事だ。これで気は晴れたか?」
「……そういうのを事後報告って言うんですよ」
光秀はしばらく、無言のままで早駆けさせた事で遠ざかっていく家康の背を見つめていたが、やがて凪へ向き直る。家康に続いて走り出した医療兵達を見送っていた彼女は背後に居る男を振り返り、眉根を軽く寄せて小さく呟いた。機嫌が悪いとまではいかないが、些か物言いたげな凪の頭をひと撫でした後、光秀は手繰り寄せた手綱をそっと彼女の手へ預けてやる。
「そう膨れ面をするな。少しだけ走らせてやろう」
「え、嘘!?」
「行くぞ、兵達が待ちかねている」
「じゃあ出発しますね…!」
跨る騎乗姿勢でない為、光秀が彼女の体勢を支えるように腰へ腕を回したままで固定した。手綱を渡した途端に嬉しそうな笑顔になった彼女は嬉々とした様子で背後を振り返りながら告げ、それを合図に光秀が馬の腹を軽く蹴る。
「これより帰城する」
既に兵達の準備が出来ている事は視界の片隅で確認済であり、彼らへ一言告げた後、光秀と凪を乗せた馬は軽快に走り出した。心地よい蹄の音と揺れへ嬉しそうにする凪の顔を見やり、光秀の口元が自然と綻ぶ。
二人が騎乗した馬に続く兵たちが駆る馬の蹄の音が幾つも重なり、少しずつ夕暮れへと傾いて行く日差しが緑の草原へ影を生み出して、ゆっくりと演習場から遠ざかって行ったのだった。