第16章 掃き溜めに鶴
「目的地が分からないのは、家康さんが何処に行くって教えてくれないからじゃ…」
「ふうん、教えたら分かるんだ」
「………分かりません」
ぐうの音も出ずに肩を落とした後、伸ばされたままの手を掴んだ。差し出したのは左手だったが、袖から覗く手首にはもう包帯は巻かれていない。元々軽く捻った程度だったので、すっかり痛みは引いていた。
凪の手を握った瞬間、家康は幾分驚いた様子で翡翠の眼を瞠る。僅かに動きを止めた家康を不思議に思って凪が首を傾げるも、彼はすぐに華奢な身体を馬上へ軽々と引き上げた。
「あ、しまった…小袖のままだったんだ…」
「横乗りにすればいいでしょ」
摂津へ向かった折には袴姿だった為、普通に跨る形で乗れたが小袖姿ではそうもいかない。実は昨日家康の御殿から帰る時も光秀の馬に乗って帰宅したのだが、その時も横乗りの状態だった。
はっとした様子で呟く凪に対し、家康は淡々と短く言い切る。どうせ昨日もそうだった、といった意味も含まれているが、凪はあまり横乗り自体が好きではない。
「横乗りだと、ちゃんと馬に乗ってるぞって感じがしないんですよね」
「そんなのいちいち考えてるなんて、暇だね」
「なかなか馬に乗せて貰えないから貴重な感覚なんですよ」
凪が馬に乗れる事は光秀は勿論、政宗辺りから家康とて聞いている筈だ。だが残念な事にいまだ彼女は一人で馬に乗る許可を貰えていない。
自由気ままに馬に乗りたいなと考えている凪の思考は、そもそも馬が基本的な移動手段といった認識の家康には、あまり理解が出来ないようだった。
「我儘言ってないで、ちゃんと掴まりなよ」
「わ…っ、」
横乗りは跨る普通の騎乗姿勢と異なり、そこそこ不安定である。落馬されては面倒、といった意味合いで凪の身体を自身の方へ引き寄せ、胸へ寄りかからせるような姿勢へ導けば、彼女は小さな声を上げて咄嗟に片手を家康の胸板へ置いた。