第15章 躓く石も縁の端
「どうする?凪」
掠れた吐息混じりの柔らかく低い声が鼓膜を撫ぜた。ゆっくりと紡がれるその音と、薄い唇の動きを前にして凪は言いようのない羞恥に駆られる。
────……どうした、やると言ったのはお前の方だろう?
何故か、恐ろしい程にリアルな夢の中で光秀に告げられた声が脳裏を過ぎる。甘く誘うしっとりとした低い声の後、重ねられた唇の感触がどうしてか思い出され、つい光秀の唇へ視線を向けた彼女は途端に騒がしくなり始めた鼓動へ息を呑んだ。
普段あまり意識しないようにしていた、光秀の端正な姿や表情、仕草や声色が妙に際立って凪の心を騒がせる。とくとくと早鐘を打つ鼓動にあわせ、熱が上昇していくような感覚に陥り、首筋まで赤く染めた彼女は困った様子でぎゅっと瞼を閉ざした。
(なんで急にこんなどきどきしてるの私…!?光秀さんがからかって来るのなんて、いつもの事なのに)
本気ではない、ただ反応を見て楽しんでいるだけ。そう思っているからこそ、顕著な様など見せたくはなかったが、感情は理性でそう容易に制御出来るものではない。
瞼を伏せて視覚を閉ざせば、余計に自らの鼓動が脈打つ音がダイレクトに聞こえて来た。引き結んだ唇が熱を持った気がして、凪が顔を俯かせる。
一方、急に黙り込んだ凪の顔色がみるみる内に赤く染まる様を目の当たりにして、光秀は僅かに眸を瞠った。耳朶まで上気させて顔を伏せた彼女を前に、安土城で感じた違和感を思い出せば、つい指先が熱を帯びる。
秀吉が居る前にも関わらず、困ったように眉尻を下げて羞恥に震えていた、普段の凪とは少し反応が異なっていた一件の事だ。彼女の中で、忘れ去られた───夢だと認識されている口付けがどれ程の意味を持つのかは分からないが、想いを寄せている相手に、どんな理由であれ意識を向けられて心が湧き立たない男など居る筈がない。