第15章 躓く石も縁の端
こつん、と凪の額を軽く小突いてみせた光秀が緩く笑ったのを見て、彼女は額を片手で押さえながらも安堵した様子を浮かべた。下げていた頭を持ち上げ、そんな凪の表情を目の当たりにし、何故か心の奥がざわつくような感覚に陥った家康はすぐに意識を切り替えるよう瞼を伏せる。
そうしていつまでも長居するわけにもいかないだろうと、客間へ荷物をまとめに行った凪が戻って来れば、二人は家康に見送られるまま光秀が乗って来た馬へ二人乗りの状態となり、御殿への帰路を辿ったのだった。
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光秀の御殿へ戻り、家臣達に出迎えられた後でそれぞれ湯浴みと夕餉を済ませた後、部屋へ引っ込んだ凪を見送った光秀は羽織りを肩にかけ、真っ白な夜着用の着流しをまとって文机の前へ腰を下ろした。
実質二日程御殿を空けただけで、出掛ける前にある程度整理していった文机の上には複数の書簡や文が並べられている。それ等へ軽く目を通した後、優先度の順に振り分けてから真新しい紙を用意し、視察中に得た情報を書き留めて行く。
地図を簡易的に書き留める傍ら、光忠が見つけて来た廃寺を脳裏へ過ぎらせた。他の山や地域を探らせた部下からの情報では、森、山など木々がある場所の中にある寺は見当たらなかったとの事である。つまり、凪が【見た】景色に該当するのは、実際に案内させたあの場所しかない。
そもそもあの小国で事が確実に起こる保証もまたないのだが、片隅に留める必要はあるだろう。
そうしてしばらく書き物をしていると、閉め切られていた凪の部屋の襖がそっと開かれた。ちらりとその隙間から顔を覗かせた凪が光秀の様子を窺い、文机の前に座っている姿を見咎めて眉尻を下げる。
「…どうした」
問わずとも彼女の言いたい事は理解出来たが、敢えて口に出して問いかけた。緩く笑んだまま紙面から顔を上げると、それまで下がっていた眉尻が、今度はきゅっと上へ持ち上げられる。
「どうしたって…言おうとしてる事、分かってるくせに」
「さて、お前が言いたい事と俺の予想が必ずしも一致しているとは限らないだろう?」
「……つまり、休まなくて大丈夫ですかって事です」