第15章 躓く石も縁の端
家康の部屋も光秀の御殿同様、奥まった棟に設置されている。
辿り着いた一室、その前で足を止めた女中へ案内ご苦労、と声をかけた後、中にある二つの気配に向けて声を発した。
「家康、入るぞ」
相変わらずというべきか、部屋主の了承もなく襖を開けると、薬草独特のつんとした香りが鼻腔をくすぐる。開けた視界の中、家康の隣で薬研(やげん)を覗き込むようにしていた凪が咄嗟に顔を上げ、入り口に立つ光秀の方を振り返って驚いた様子で黒々とした眼を見開き、そうして溢れるような笑顔を向けた。
「光秀さん…!おかえりなさい!」
大輪の花が開くような明るい笑顔を前にして、光秀の心の奥がじんわりと暖かくなる。立ち上がり、足早に近付いて来た彼女が目の前に立って、じっと光秀を見上げて来た。怪我はないか、疲労は色濃くないか。そういったものを確認しているのだろう、大きな猫目が最後に光秀の金色の眼を見つめ、口元を綻ばせる。
「良かった、怪我とかはしてないみたいですね」
「元々危険な任務ではなかったからな。……お前こそ、良い子に待ては出来たのか?」
「人を犬みたいに言わないでくれます!?」
純粋に心配される事がむず痒く、つい揶揄めいた調子で言葉を発すれば、いつもの如く凪がむっとした様子で言い返して来た。目の前でころころと変わる表情を見やり、何処と無い満足感を覚えた光秀が口元に微笑を乗せる。
「おや、つい先程駆け寄って来るお前の背に尻尾が見えたような気がしたが、どうやら俺の見間違いだったらしい」
「し、尻尾なんか振ってません…!」
「俺は一言も【振っていた】とは言っていないぞ」
「な……っ!?」
片眉を持ち上げ、わざとらしく告げてみれば凪が憮然と言い返す。しかし、尻尾が見えたと言っただけの光秀に対して地味に墓穴を掘った凪は自らの失態にじわりと目元を染めた。
白い肌がほんのり色付く様は愛らしく、つい腕を持ち上げかけたところで、いまだ薬研を使い、材料を擦り潰していた家康が呆れを含ませた視線を二人へ送る。
「……あんた達、人の部屋で立ち話しながら何してるんですか」
「!!?」
「仔犬が世話をかけたな、家康」