第4章 宿にて
手にした盆を凪の前に置き、褥の上へ先程と同じく腰を下ろした光秀は、湯気の立つ湯呑みを一つ、彼女の前へと置いた。
「ありがとうございます…その、話って?」
小さく礼を零した唇が、興味とも警戒とも取れる色を帯びて疑問と共に促される。
自らの前にも湯呑みを置いた光秀は、すぐにそれへ手を付けるわけではなく、漆塗りの盆を端へと追いやった。
そうして光秀は燭台の灯りでぼんやりと見える凪の顔を真顔のままで見つめては、果たしてどのように切り出すかと思考を巡らせる。
恐らく、凪はまだ自分が間者だと疑われていると思っている事だろう。光秀の中でその線はとうに消えていたが、それを相手へ伝えたわけではない。
(…さて、まずは小娘の警戒を解く事が先決か)
「既に気付いているだろうが、お前を今回の任に連れ出したのは、信長様暗殺の一件への関わりの有無を見極める為だった」
ぴくり、と正座した膝の上へ乗せていた白い指先が震えた。しかし、此処へ至るまでの馬上でのやり取りなどもあってか、ある程度予測出来ていただろう彼女は表情を動かさない。
「俺は、疑わしきは調べ尽くさねば気の済まない性質(たち)でな。場合によっては本当に無理矢理口を割らせる事もやぶさかではないと思っていたんだが…」
(…怖っ!)
世間話でもするかのような調子で告げる光秀の言葉に、短い畏怖のそれを発した凪の心中など、男にはお見通しというものだ。眉根がくっ、と顰められた様を捉え、喉奥で笑いを噛み殺した。まるで打てば響くその渋面は、思った以上に感情表現が豊かである。
「今はお前が間者の類だという線は無いと見ている」
いつものようにはぐらかしや揶揄を言葉の端に含めなかったのは、そうしなければ凪の心が落ち着かないと踏んだからだ。
凪には明かして貰わねばならない。間者の線が消え去ったとしても、光秀の中に残る二つの疑念を、彼女自身の口から聞かなければ素性の全てを見極めたとは言いきれないのだから。
「…本当ですか?」
おずおずと確かめるよう控えた声色で紡がれた凪のそれに仄かな希望が混じった。誰であっても嫌疑をかけられ続けて気分の良いものは居ない。