第15章 躓く石も縁の端
押さえていると言っても、結局両方とも濡れそうな気配を察し、袂から襷(たすき)を取り出して家康が立ち上がる。そのまま凪の背後に周り、作業を邪魔しないよう気遣いつつ、袖を捲くる形で襷をかけてやれば、凪が嬉しそうに振り返った。
「ありがとうございます」
「別に。濡れたら、面倒が増えると思っただけ」
屈託ない笑みを向けられた事に家康は視線を逸らす。素気ない物言いで眉根を寄せた家康が再び元の位置へ戻れば、袖を押さえる必要がなくなった凪が果皮をこするようにして湯と混ぜ合わせていった。
そうすれば、次第に桶の中の湯は白く濁り始め、やがて小さな泡がぽつぽつと水面を覆い始める。
「この桶の大きさだと、いっぱい泡立てるには、あと三つくらいは欲しかったなあ」
「…そう」
些か残念そうな呟きを落とした凪へ、家康は小さな相槌を落としただけだった。目の前の桶には水面いっぱいに小さな泡が広がり、それによって表面がふんわりと盛り上がっているように見える。ぱしゃぱしゃと周りへ跳ねない程度にかき混ぜていき、やがて果皮を桶の底へ沈めた凪は両手の平へすくうようにふんわりとした透明な泡の塊を軽く持ち上げた。
「ほら、見てください。二つでも結構混ぜたらこんなに泡立ちましたよ…!」
無患子の果皮には、石鹸と同じ成分が含まれている為、水などへ入れて振ったりかき混ぜたりすると細やかな泡が発生する。
肌に優しく、天然の石鹸水といっても過言ではないそれは昔から洗髪や食器洗い、洗濯などに使われて来たらしい。
凪がすくい上げた手の中の泡へ視線を向け、家康は内心では酷く関心した様子で双眸を瞬かせた。匂いは元々あまりしないらしく、無臭のそれへじっと興味深そうに意識を向けている家康に対し、凪は少しだけ彼の方へ手を寄せる。
「危険なものじゃないですし、ちょっと触ってみます?これで手を洗ったりすると、肌がさらさらするんですよ」
「……ふうん」
気の無さそうな相槌を打ちながら片手を出せば、凪がその手のひらの上へ泡立つ湯をさらりと落とした。