第15章 躓く石も縁の端
行商達が藁で編んだ敷物の上に品物を並べ、おもむろに店開きを始めている様子を眺めつつ、ふと気になったものを視界に捉えてつい視線を向けた。
少し離れてしまった距離を埋めるよう小走りになった凪が、ようやく彼の隣に並び、そうして意識を向けている先へ目線を投げると、彼女は小さな声を上げる。
「無患子(むくろじ)だ…!」
「…!」
家康が視線を向けていたものの名を発した凪は、嬉しそうに行商人が店を開いている木箱の前へ軽く屈み込んだ。
喜色の滲む声色が鼓膜を打った際、ほんの僅かに自分の心を見透かされたような心地になった家康は、微かに目を瞠った後、隣で屈み込んだ凪を見つめる。
凪が見ている淡い黄緑色の丸い実は、果皮が主に気管支炎や去痰薬として用いられるもので、季節の流行り風邪の折によく使っていた。中部地方以降でしか見かける事のないそれは北側の人間には珍しく、政宗辺りにはだいぶ訝しまれたものである。
「家康さん、無患子ですよ。この時期なのにちょっと珍しいな」
「開花が早かったんじゃない」
「そっか、そういう事もありますよね」
伸ばした凪の指先は白く、人差し指と親指で軽くつまめる程度の大きさの無患子は色合いの淡さから、彼女によく似合った。果皮を剥いた中には真っ黒な種が入っていて、適度な硬度から、それは数珠の材料として用いられる事がある。
薬の材料として欲しいのか、あるいは中の種子が欲しいのか。薬草好きだとあれだけ豪語していたくらいなのだから、おそらく前者なのだろうが、凪は手にした無患子をしばらく見つめた後、散々迷った挙げ句、小さな実を一つだけ買う事にしたらしい。
「ひとつでいいの?」
気付けばそんな事を口にしていた。声をかけられると思っていなかったらしい凪は、手首に引っ掛けていた巾着の中から銅銭を取り出しつつ、驚いた様子で顔を上げる。
「はい、取り敢えず一個だけ」
「ひとつだけあったって、どうにもならないと思うけど」
「石鹸の代わりになるかなって」
「…石鹸って、確か南蛮からの交易品でしょ。無患子があれの代わりになんてなるの?」