第4章 宿にて
妥協点として挙げた褥は、二人分がぴたりと横並びに備えられている。なにやらここに来てどっと疲労感が押し寄せた凪は、光秀の揶揄に消沈した様で溜息を漏らしたのだった。
同室騒動の後、馬での長距離移動と町中を小走りで駆けた所為で思った以上に疲弊していたらしい凪は、当初より勧められていた湯浴みで身体の緊張を解し、汗と共に疲労を綺麗に洗い流した。
シャワーの偉大さを痛感せざるを得ない湯浴みを終え、お千代が渡してくれた荷の中に入っていた夜着へ衣を変えた後は、運ばれてきた夕餉の膳をいただく。
その時、目にした光景を凪は暫く忘れる事は出来ないだろう。
(まさかご飯に汁物とおひたしと煮物と生卵とお漬物を全部混ぜて食べるとは思わなかった…)
凪が山菜のおひたしに舌鼓を打っていたその正面で、光秀が姫飯(ひめいい)の中に膳の上の各種料理を文字通りぶっかけ状態にして食べ始めたのを目の当たりにした時には、流石に目をひん剥いた。
葱味噌握りの一件でも思ったが、光秀は食に関心がまるでない。驚く凪を前にして、彼はさして気にした風もなく、それを短時間で食べ終えた。
一度で済むなら、それに越したことはないだろう。
真顔で言い切った男に対し、突っ込むべきか、突っ込まざるべきか悩んだ凪だったが、結局「そういう考えもあるかもしれませんね」と、無難な肯定とも否定ともつかない返答をするに留めたのだった。
その光秀は今、燭台の灯りを寄せた文机の前で文をしたためている。すっかり夜の帳を下ろした室内は薄暗く、燭台付近だけがぼんやりと仄かな灯りを発していた。片側だけを開けた障子の向こうには暗い庭が広がり、空に浮かぶ月の灯りがうっすらと張り出しの縁側の板間を照らす。
特にする事もない凪は障子の近くに足を横に崩しながら座り、ただぼんやりと空を見上げていた。
不意に視線を投げた先には、淡い橙色の灯りに照らされた男の姿がある。湯浴みを済ませた銀糸はしっとりと水気を帯びていて、それが灯りに照らされ、鈍く輝いた。
光秀曰く、九兵衛が先んじて用意していたらしく宿には荷物が運び込まれており、彼もこの宿内のどこかに居るらしい。
まだ正式に紹介は受けていないが、凪の荷を運び入れてくれたのも彼だと言う。