第14章 紫電一閃
しかし男は笑みを乗せたまま緩く首を振って否定し、一度視線をゆっくりと慈しむよう陳列棚の品々へ送った後、自然な所作で最後に凪を見た。
ふわり、扇で風を男が送る度、信長の伽羅香とも光秀の薫物とも異なる、上品な菊花の香が凪の鼻腔をくすぐる。
「じゃあ他の目的は何だったんですか?」
「君だよ」
不思議そうに問いかけた凪が男へ顔を向ければ、相手は笑みを消さぬままに短く言い切った。果たして一体何の目的なのか分からないにも関わらず、相手の緩やかな雰囲気の所為だろうか、あまり緊迫感を覚える事がなかった凪が双眸を瞬かせる。
大きな漆黒の眼に見上げられ、そこに自らの姿が映っている事を見て取った義元は何処か満足げに眼を眇めた。
「うん、やっぱり。思った通りだ」
「……?」
僅かに身を屈め、凪自身───というより凪の見開かれた双眸を覗き込んだ義元は小さく頷く。顔を間近へ寄せられた所為か、鼻腔をくすぐる香がいっそう強く香った事へふと凪が我に返り、一歩身を引いた。
「さっきのやり取り、少し離れたところから見ていたんだ。無謀で危なっかしかったけど、間違っていないと思った」
「それは…なんというかお恥ずかしい限りで…」
「恥ずかしがる事なんてないよ。君は誰もが見て見ぬ振りをする中でただ一人、立ち向かっていった。そんな君の目はとても美しいんだろうなって思ったら、近くで見てみたくなったんだ」
凪の双眸を真っ直ぐに見つめていた義元は、黒々とした眸をしばらく間近で覗き込んだ後、満足したように屈めていた身を戻す。ぱちりと硬質な音が響いて扇子が閉ざされた。その音の種類から、それが普通の扇子ではなく摂津で光秀が手にしていた鉄扇の類いなのではないかと考え至った凪は、不思議そうな面持ちで男を見上げ、小さく問いかける。
「貴方は一体…」
「俺は、ただの美しいものが好きな亡霊だよ」
(また亡霊さん…!?)
この乱世、ちょっとばかり亡霊率が高いんじゃないのかと思考の片隅で一瞬考えた凪を他所に、己を亡霊と名乗った義元はただにこりと柔らかく笑ったのだった。