第4章 宿にて
穏やかな仕草と表情を、背けた視界の端に捉えた凪がやはり気まずそうに、あるいは何処と無く気恥しそうに告げた。
「そんな何度も迷子になんかならないですよ」
「遠慮するな。その時は無駄に歩き回らず、大人しく飼い主を待っていろ。…ところでお前、どうやってここまで辿り着いた?ここは町の中でも奥まった場所で、土地勘のないお前が容易に見付けられる筈もないと踏んでいたのだがな」
再度頭をひと撫でした後、光秀は片手を下ろすと同時に真摯な眼差しを凪へ向けた。
光秀が身を潜めていたこの路地は、彼の言う通り町の中でもそこそこ奥まった場所であり、尚且つ同じような通りがいくつも並んでいる為、土地勘の無い者は迷いやすい。
光秀の疑問を受けた凪は、背けていた顔を彼の方へと戻し、答えを口にするのを躊躇うかのごとく、眉尻を軽く下げた。
そうして暫し逡巡したのち、凪は光秀を一瞥して引き結んでいた唇を小さく開く。
「光秀さんのお香、少し独特というか…あまり嗅いだ事のない香りなので…それで」
「─────…は?」
予想とは遥かに違う方向から降ってきた発言に対して、光秀が短い音を発してしまっても無理のない事であった。
何とも言えない複雑そうな表情のままで言葉を切った凪は、虚をつかれた様子で眸を見開く男を見上げる。
「…だから、光秀さんのお香を辿って…って、なに笑ってるんですか!」
あまり口にしたくない事だったのだろう、歯切れの悪い言葉を紡いでいた凪だったが、目の前の男の肩が小さく震えているのを目の当たりにし、羞恥で耳朶が赤く染まった。
「…ッ、はははっ、まさか俺の残り香を追ってここまで辿り着いたとはな。中々出来る事ではないぞ。なるほど、お前は正真正銘仔犬だったという訳か」
声を上げて笑う光秀の姿を初めて目の当たりにした凪が、皮肉でもなく揶揄でもない、心底可笑しそうな彼の姿に一瞬目を奪われる。揺れる色素の薄い銀糸が薄闇でもキラキラと光り、端正な面(おもて)が破顔する様は、何故か初めて素の彼をほんの僅か垣間見たような心地にさせた。