第14章 紫電一閃
「貴様…餓鬼より先に斬られたいらしいな…────っ!?」
肩を震わせ、身の内に治まり切らぬ苛烈な怒りを燃え上がらせた男が吼えると同時、刀の柄を握る手に力を込めた。
さすがに抜刀されると打つ手のない凪がびくりと肩を跳ねさせた瞬間、鯉口を切ろうとした男の腕が見えない何かで縫い留められたかの如く、凍りつく。
「────…っ、く、」
柄を握った手がかたかたと微かな音を立てて震えた。
それまで一切何も感じなかったというのに、鯉口を凪へ向けて切ろうとした刹那、少し離れた距離から飛ばされた冷たい殺気が男の動きを無意識下で制する。実際、男の腕は何も拘束など受けてはいないというのに、それを抜き放ってしまえば最後、己が無事で居られる保証がないと思わしめる怜悧な抑圧感は怒りで昂ぶった身を一瞬で凍らせた。
ゆっくりと視線だけを横へ流し、殺気の元を辿って行く。
首を巡らせる事すら許されない限られた視界の端で、金色の眼を鋭利に眇めた男の姿が捉えられる。悠然と胸前で腕を組んだ男は、ただ口元に笑みを刻んでいた。白い袴をぬるい風になびかせ、特に腰へ下げた刀へ手をかけていない様は一見無防備だがその実、一分の隙もない。そして男は、自らへ鋭い殺気を飛ばして来たその人物をよく知っていた。
(────…明智、光秀!?)
男の中では数分程の長い時間に感じられたが、実際にはほんの数秒程の出来事だ。
身を硬くした凪はいつまで経っても動く様子のない男を正面に捉え、双眸を瞬かせる。中途半端な体勢で固まった男の様子を怪訝に思っていると、ふと横から低く落ち着いた声色が投げかけられた。
「その辺にしておけ。己の醜聞を広げる、度し難い趣味があるなら、無論その限りではないが」
「…光秀さん」
光秀は胸前で組んでいた腕を解き、緩やかな足取りで凪の半歩前に立つと彼女を自らの背へ再び隠す。投げかけたのは当然男に対してのもので、凪が小さく光秀の名を呼べば、僅かに背後を振り返り、安心させるよう微笑を見せた。
光秀が前に立った事で凍りついていた男の身体が動きを見せ、ざり、と地を踏む音を響かせながら数歩後退する。共に居た連れの男も驚いた様子で光秀の顔を見やり、渋面を浮かべた。