第14章 紫電一閃
「ご、ごめんなさい…っ!!」
地面に尻もちをついた状態で桶をぎゅっと小さな手のひらで握り締めた少年は、目の前に立つ男達を恐恐見上げ、かさついた唇を震わせながら謝罪を紡ぐ。仁王立ちのまま怒りの形相を顰めた男の身なりは粗雑ではなく、士官している武士なのだと見て取れた。
腰に下げた刀の柄にこそ、まだ手は掛かっていないが、今にもそれを抜き放ちそうな気配を滲ませ、自らの足元へ視線を向ける。
「見ろ、貴様の所為で俺の袴が生臭くなった!この落とし前、どうつけてくれる!?」
「ごめんなさい…っ、あの、俺…急いでて…!」
激昂する男の袴の裾や足袋、草履は少年が持っていた桶の水が思い切りかかってしまったらしく、しとどに濡れていた。ばさりと袴の裾を雑に捌いた男が一歩荒々しく前へ踏み出し、いまだ尻もちをついた少年を見下ろす。
がたがたと身を震わせた少年は再度謝罪を紡ぎ、怒りの形相を直視している事が出来ずに視線を俯かせた。
(なにあれ…!)
一連のやり取りを少し離れた距離感で目の当たりにする事となった凪は、自らを背に庇う光秀の後方で眉根を顰める。どちらがぶつかったのかは定かではないが、それにしたって子供は謝っているというのに、あの怒りようは何なのか。
沸々と湧き上がる怒りに、つい繋いだままであった手へ力を込めれば、光秀の視線がそこへ向けられる。
騒ぎを目に留めている野次馬達は誰一人動こうとしなかった。
否、おそらく動けないのだろうと凪はその場の空気で感じ取る。往来で立ち止まり、心配そうに状況を見守る町人達の視線や気配は、凪が有崎城下で感じたものとほとんど同じものだった。
(有崎城下でもそうだったけど、この時代は武士が圧倒的な強さを持ってるんだ)
いつでも人の命を奪う武器を腰に下げ、ひとたびそれを抜かれてしまえば丸腰の者達に抗う術などない。
故に、理不尽な事が目の前で繰り広げられたとしても、誰もその場に割って入る事は出来ないのだ。下手に口を出してしまえば、次に白刃を向けられるのは自分かもしれない。そう思えば力の無い立場の者達は、ただ息を殺して付かず離れずの距離感で見守る以外に選択肢がない。