第4章 宿にて
穏やかな部下の様子が意味するところを悟り、光秀の中で揺らいでいたものが、静かに霧散した。
─────凪は、白だ。
そうであればいいと思っていた、片隅に押しやった心が安堵に染まる。
そのまま九兵衛は一礼し、凪に気付かれる間もなく姿を消すと、光秀は一度瞼を閉ざし、細く息を零した。
自身の言葉に何の反応もない事を怪訝に思った凪が、何気なく背後を振り返る。当然そこには誰もおらず、時間が経つにつれて少しずつ治まりつつある喧騒しか聞こえて来なかった。
「…光秀さん?あの、はぐれた事、怒ってるんですか?」
何も言葉を発しない男の感情を測りかね、珍しく伺うように控えめな調子で問い掛けて来た凪に対し、やがて光秀は視界を開くと緩やかに口角を持ち上げる。
「…いや、こんな場所に俺が居る事を不審に思わない時点で、お前はやはり安穏とした些か無防備な思考の持ち主なのだと安心してな」
「え、どういう…って、まさか!?」
笑いの混じった、しかしどこか清々しささえ感じられる光秀の発言に、怪訝な色を深めた凪が不意に目を瞠った。
罰の悪そうな顔色から一転、光秀が言わんとした事に気付いたらしい彼女の表情が見慣れた顰め面へと変わる。
「わざと置いていったんですか!?人が置いてかれて慌てふためくのを見るとか、意地悪も大概…っていうか趣味悪すぎですよ…っ」
本当は、凪が一人になった時に怪しい行動を取るか、あるいは逃げ出そうとするか。そういった可能性を探る為に一人にしたのだが、そのままを伝えるとますます彼女は眉根を寄せるだろう。
疑われている状況で、自分の尋常ならざる秘密を話せと脅した相手の行動を、単なる意地悪で片付けてしまえる間抜けな間者など、居る筈もない。
憤慨する凪へ一歩を踏み出し、距離を詰めた。
怒りを真っ直ぐに伝える漆黒の眼差しは、やはり逸らされる事なく光秀に注がれている。
こんな女に出会ったのは、初めてだった。
自然と伸びた片手が、宥める意図を持って凪の頭へ運ばれる。結った髪が走った所為で僅かに乱れてしまっていたが、気にせずに艶のあるそれの感触を楽しんだ。
数度撫で、振り払われる前に手を下へと流し、人差し指で眉間を撫ぜる。