第4章 宿にて
促されて既に数歩先を歩き出していた凪の背をちらりと見やり、吐息混じりに答えた光秀は、それ以降部下へ振り返る事なく賑やかな喧騒の中へと足を踏み入れた。
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夕暮れ時の買い出しか、あるいは家路を急いでいるのか、町の中心である大通りを多くの人が忙しなく歩いている。
物売りや行商の客引き声、客同士の他愛ない会話、値切る声や明るい笑い声。
活気あるそれらはどこか、昔ながらの小さな商店街などを彷彿とさせた。
凪の地元も乗馬クラブを経営しているだけあり、自然が多く山が近い田舎の風情を色濃くした立地であった為、その様子は仄かな寂寥(せきりょう)を呼び寄せる。
安土城へ連れられ、更にはよく分からないままこの地へ連れられた凪には、当然戦国時代の町中をゆっくり堪能する暇など与えられていない為、これが初めての町巡りだった。
町に入ってからは様々な匂いがあちこちから流れて来る。
今夜の夕餉、食事処からの料理の香り、酒蔵や茶屋の独特な香り、そしてそこに生活する人々の匂いが混ざり、ここがやはりどうあっても夢ではない事を突き付ける。
城の中や自然の中だけでは感じられない、リアルな人々の営みを感じた。
「随分と物珍しそうだが、お前は箱入り娘かなにかだったか?」
「そういう訳じゃないですけど…来た事のない場所って、つい色々見たくなるじゃないですか」
隣を歩くすらりとした長身が揶揄ともつかない言葉を零した。
いまいちこの時代の庶民の生活基準が分からず、曖昧な調子でもっともらしさを漂わせながら濁す。
「城下町ならばともかくこの程度の町、そう珍しい事もないだろう」
付かず離れずの距離感で歩く二人の伸びた影が雑踏に紛れた。
そんな中で光秀を見上げると、彼はあまり感慨のない雰囲気で短く笑い、ふと視線を凪へ投げる。眸の奥には明らかに愉しげな色が滲んでいた。
「だが、この調子でお前が安土城下を散策した日には、童(わっぱ)のように迷いそうだな」
「迷いませんよ!…多分」
つい反射的に言い返したものの、実際の城下町など歩いた事がないので、言い切れないのが悲しい所である。
「ほう…ではこの任を無事終えた暁には、褒美として俺が安土城下を案内してやるとしよう」
「結構です。案内なら三成くんとかにお願いして、一緒に回ってもらいます」