第12章 家賃
襖へ片手をかけたままで凪が振り返り、嬉しそうに笑う。
ひとまず一度文机の上の文へ一通り目を通すかと腰を下ろした光秀は、真正面からのぞむ形となった凪の笑顔を見て微かに眼を見開いた。
やがて、橙色の灯りに溶けてしまいそうな金色の眸に穏やかな色を乗せる。言うだけ言って満足したらしい凪が部屋へ入り、襖を閉めようとした瞬間、男の唇が彼女の名を呼んだ。
「凪」
「…はい?」
襖を閉める為、光秀の方へ身体を向き直していた凪が、呼びかけに対して不思議そうに双眸を瞬かせる。軽く首を傾げる様を前に、彼は文机の上で軽く頬杖をつき、微笑した。
「寂しければ襖は開けたままでもいいぞ」
揶揄とも本気ともつかない低く潤った声が凪の鼓膜を刺激する。眉根をぐっと寄せた凪は、光秀の眼を見つめてきっぱりと言い切った。
「暑い時は開けるかもしれませんけど、寂しくて開ける事はないです」
とん、と静かな音を立てて閉ざされた襖をしばし驚いた様子で見つめ、そうして光秀は微かに肩を揺らして笑う。
どうやら暑い時は開け放つらしい彼女の主張を耳にし、閉め切られている、庭へ繋がる障子の方へ視線を向け、再び意識を文机へ戻した。
これから本格的な夏が近付くにつれて、ますます暑さが増して来るだろう。文句を言いながら襖を開け放って来る凪の姿を想像し、笑みを溢した光秀は微かな紙の擦れる音を立て、手近な文へ目を通し始めたのだった。
───────────…
本日から凪の住まいとなる部屋の襖を閉めたと同時、彼女は襲い来る後悔と共にとん、と取り替えられたばかりらしい新緑の香りが漂う畳の上へ両膝をついてがっくりと座り込んだ。
あまり妙な音を立てると、襖の向こうの住人に何事かと勘繰られてしまう為、煩くしないようには心がけたが、凪はどうにも項垂れずにはいられない。
(……やってしまった…)
自分で決めた事は何事も後悔しないのが信条の凪だが、今回ばかりはどう考えても悪手である。