第12章 家賃
世話役といっても、すぐに光秀の任に同行する形になってしまった為、まともな仕事をいまだしていないし、加えて何をしていいのかも分かっていない。
窺うようにしてそっと光秀を見上げた凪の不安げな色を前に、片手で覆い隠した口元を笑ませたまま、男はさも考えるような素振りを見せた。
「一室の価値を具体的に考えた試しはないが…さて、どうしたものか」
「……厚かましいですけど、出来ればその…お手柔らかに」
思案に耽る───あくまで素振りの光秀へ遠慮がちに告げる。
揺れる漆黒の眼へちらりと視線を流してやれば、凪が答えを待つようにじっと見つめて来ていた。
(…まるで悪戯を叱られた仔犬のようだ)
別に凪自身は悪い事など何もしていないし、端からそんなものを彼女から取ろうなど微塵も考えていなかった光秀だったが、不安げに窺って来る凪の様が健気で愛らしく、つい興が乗り、苛めてしまった次第である。
家賃などと言い出した時には、一体どのようにしてそれを払うのかと思い、ひとまず主張を聞いてやろうと思ったが、案外凪は身の程をわきまえているようだった。
この時代、織田軍の他領土や安土の民は信長の治世であるが故、食うに困るといった状況は余程逼迫しない限りないだろうが、それでも女一人が稼ぐのは容易ではない。
信長の気に入りという事で、望めば金などいくらでも貰えるのだろうが、凪の性格を思うと正当報酬以外は頑として受け取ろうとはしないだろう。
(妙なところで頑固な娘だ。ここは俺が家賃の件を呑む他ない)
凪の納得する形で話を収めるべく思案を巡らせていた光秀は、ふと思い付いた様子で僅かに双眸を眇め、笑みを消し去った後、口元を覆っていた片手を外した。
「ならばここは俺から一つ、提案させて貰うとしよう」
「提案ですか…?やっぱり家賃払わなくていいとか、そういうのは無しですからね」
真顔のままで言い切った光秀へ驚いたように目を見開いた凪だったが、すぐに怪訝な面持ちを浮かべて眉根を寄せる。あくまで家賃の件は譲らないと言わんばかりの凪へ微かに吐息を漏らし、それに紛らせる形で笑いを溢した光秀が口角を微かに持ち上げた。
「まさか。…だが、何事も取引きには互いの益を考慮した条件が付き物だ」