第12章 家賃
こうして凪に触れる理由を、勘違いされたいなどという中途半端な言葉で片付けられたくはなくて、文句を言う彼女の言葉を意識的に遮った。顔を上げられてしまった事で、髪から離れざるをえなかった光秀は、すべてを覆い隠すように緩く口元を笑ませる。
眸の奥に揺れていた惑いを隠し、凪に無用な心配を掛けぬよう、ただ穏やかに笑った光秀の言葉を耳にして、凪は小さく疑問を溢した。
存外鋭いところがある凪だから、果たしてそんな言葉を容易に呑み込んでくれるかと案じたが、どうやら光秀が発したそれは凪の中でいやにしっくりと来てしまったらしい。
瞠った眼に光秀を案じる色を滲ませ、いつもは強制的に距離を取ろうと腕を突っぱねて来るが、それすらする事なく凪はおもむろに確かめるかの如く、白い指先で男の目の下の薄い皮膚をなぞる。
手を繋いでいなかった所為か、少しひんやりとした凪の指先の感触に瞼を伏せれば、いつもは肌に落ちる薄い睫毛の影が彼女のそれへぼんやりと映り込んだ。
「…隈は、なさそう。寝てないくせに」
「……慣れた所為か、然程問題はない」
「良くないですよ、そういうの。ちゃんと寝て身体の調子を整えないと」
確かめるよう音にし、暗闇の中で相手の顔を窺うよう、凪が背伸びをする。彼女の体勢が不安定にならぬよう支えてやりながら、光秀は瑣末事のように短く返した。
目の下へ触れていた指先をそのまま流れるように落とし、軽く握った拳で、とん、と責めるよう鎖骨下辺りを一度軽く叩いた凪が心配そうに眉根を寄せる。
痛くもない小さな抗議に、光秀は瞼を伏せたまま吐息を漏らすようにして微笑した。
「優先度の問題だな」
「自分の身体を一番優先にしないと、結局やりたい事、何も出来ないですよ」
光秀の中で、限りなく彼自身という存在の優先度が低い事実を凪は知っている。だからこそ、その認識をどうしても改めて欲しくて凪は憮然としたまま言い募った。
握られた拳はいまだ光秀の鎖骨下辺りにあり、言葉へ呼応するよう握る強さがゆっくりと変化している様に気付き、彼は緩慢に瞼を持ち上げると細越に回していた腕を一度解く。