第12章 家賃
やはり信長は【目】の件は勿論、凪が後世の人間である事も他の武将達に明かすつもりはないようである。
後の世の人間というものは眉唾ものとして相手にされない事もあるだろうが、【目】については八千の例があるのだ。信長も信仰が時に常識を容易く打ち壊してしまう事など言わずとも分かっているのだろう。
強張った面持ちになった凪を前に、一度瞼を閉ざした信長は話を切り上げるよう、改めて二人へ視線を合わせた。
「話は以上だ。下がって良い」
短く返事をした光秀が居住まいを正して頭を下げる。説明を終えた後で文机の上に並べた物をバッグへ詰め込み、そのままは持ち歩けないからと再び瑠璃色の布で包んでおいたそれを光秀が手にした。
凪も光秀と同じく背筋を伸ばして一礼すると二人は立ち上がり、襖の前で一度振り返った。
「それでは信長様、失礼致します」
「失礼します。…あの、信長様おやすみなさい」
「…ああ」
開け放たれた襖から二人が退室し、再び閉ざされたそれをしばし見つめていた信長は部屋の中からのぞむ事の出来る夜空へ視線を投げ、ぽつりと小さな呟きを落とす。
「五百年後の世、か」
溢した音は誰にも拾われる事はない。遠く無限に広がる空の向こう、常人には見えない何か特別なものが凪の目には映っているのかと思考し、そこに湧き上がる興味をかき消すよう、信長はそっと瞼を伏せたのだった。
───────────…
刻限として表すならば戌の刻、あるいは五つ(20時)と呼ばれる頃。
信長の住まいである天主を後にした二人は、その足で光秀の御殿へ帰る事となった。中川清秀の危険性を考慮した上での護衛という名目で凪を御殿へしばし預かる事となった事により、今夜から凪の住まいは光秀の御殿だ。
いわく、光秀の御殿は有事の際、安土城へいち速く駆け付けられるよう、比較的城からの距離は近いらしい。
といっても徒歩移動の為、それなりに時間がかかる事に変わりはない。
戌の刻ともなれば城下町は静まり返っていて、市中夜廻り番の一隊が手にした幾つかの松明の灯りが遠くでゆらゆらと揺れている程度のものと、夜空に浮かぶ月明かりしか光源は存在していなかった。