第12章 家賃
苦肉の策である。じっと黒々した猫目で見つめられ、信長は些か訝しげに凪へ視線を注ぐが、何やら必死な様子で眉尻を下げ、懇願する様はなかなかに愛らしい。
しばらく凪を目を見つめていた信長であったが、今日の宴で彼女が毒入りの盃を見抜いた事に免じ、その懇願を呑んでやる事にするかと考えた男は、口元を笑ませたまま眼を眇めた。
「よかろう、今宵の宴の働きに免じ、日記とやらは見逃してやる。…いずれ夜伽を命じた時に褥の中で口を割らせれば良いだけだからな」
(夜伽確定なの!?)
別の厳しい問題が生じてしまった気がするが、ひとまずこの場は難を逃れたと安堵の息を漏らし、誤魔化すよう曖昧な相槌を打って今度こそバッグを開く。
久々に目にした現代の品々は懐かしく、まだひと月もこの時代に来て経っていないにも関わらず、現代での日常がとても遠い昔のように感じられた。
ほんの一週間弱とはいえ、あっという間に感じてしまったこの時代の日々だが、ひとつひとつの出来事が色濃く鮮明に記憶に残っているのだから不思議だ。現代の日常はあまりにも普通過ぎて何の変哲もなく、ただ同じサイクルを繰り返すばかりであったが、この時代は違う。
常に大小様々な驚きがあり、大変で怖い思いも沢山経験したが、不思議と心底嫌な気持ちにはならなかった。
(そうやって思う辺り、たった数日で乱世に染まっちゃったのかな…佐助くんも戦国ライフを楽しんでるって言ってたし、それってこういう意味だったのかも)
現代人の友人である佐助が四年もこの生活をしていると当初聞いた時はよく出来るものだと心底感心したが、案外自分にもそれなりに適正があったのかもと思う辺り、凪は割と環境適応が早いようである。
見逃してもらった日記──もとい、フランク武将本以外の用途などを説明している間、信長と傍で聞いていた光秀も、至極関心のある様子で耳を傾けていた。
元々南蛮から使者を呼んで話を聞いているらしい信長は勿論の事、光秀も凪の拙い説明に対する理解が速く、さすがだなと感動すら覚えていた凪を前に、信長がやがて納得した様子でスマホの充電器を文机の上に置き、おもむろに告げる。