第12章 家賃
「貴様の返答など端から求めてはおらん。俺がそのように命じた時は、凪、貴様はただ一言、はいとだけ言えば良い」
(それはセクハラとパワハラの合わせ技では…!?)
低く鼓膜を震わせる男の威厳ある声色が囁きへと変われば、そこには凄絶な色気だけが残される。本気とも冗談とも付かない物言いだからこそ、信長の言葉はやけに本気めいていた。
信長にはもっと色気のある美人な女性が似合いだろうと首を振り、強張った面持ちのままで遠慮すると、有無を言わせぬといった色の一言が返って来る。
距離がある為、触れられてなどいないが、言葉だけで人を容易に従わせてしまうような威圧と、女性なら誰しもくらりと来てしまいそうな色香に、返答すべき言葉が上手く出て来ず、そっと目を逸らした。
「……信長様、鼻の効き過ぎる仔犬の意識がある内に、ご報告したい事がございますが…よろしいでしょうか」
二人のやり取りが一度途切れたところで、それまで無言のまま凪の隣へと正座していた光秀がおもむろに口を開いた。
瞼を伏せ、口元へ薄っすら笑みを刻んだまま僅かに顎を引きつつ紡がれた男のそれを耳にし、信長は一瞬双眸を瞬かせた後、微かに口角を上げる。
凪へ向けていた際には、けぶるような色気を帯びていた緋色の眼が光秀の姿を捉えると、興の乗った色を過ぎらせた。
「…良いだろう。言ってみろ」
「───…はっ。まずはこちらをご覧ください」
許可を得た光秀は傍らあった包みを持ち、信長の座る傍にある文机の上へそれを置くと、瑠璃色の布をそっと開く。
布の中から現れたのは凪にとって見覚えのある、そして久し振りに目にする品であった。
「私のバッグ…!」
布の上に鎮座しているのは、凪が現代から持ってくる事が出来た唯一の荷物──オフホワイトのショルダーバッグである。驚きを伴って小さく呟かれたそれを耳にし、信長の視線が文机のバッグへと注がれた。それまで脇息に凭れていた身を起こし、バッグの表面を片手で撫ぜれば驚いた様子で微かに眼を瞠る。
「革を鞣(なめ)したもののようだが、このような色は見た事がない。…この留め具は金属か。随分と細かな加工だ。湾曲した箇所を均等にするには、相当腕の良い職人でなければ難しい」