第11章 術計の宴 後
零れた彼女の名を呼ぶ声が低く掠れて静寂に溶ける。凪によって包まれていた箇所に微熱が宿ったかのような感覚に陥りながら、何事か音を発しようとした瞬間、凪が二人の間の小さな距離を一歩進む事によって縮める。
「───…でも、ありがとう。びっくりしたけど、嬉しかった」
目の前で真白な芙蓉が花を咲かす。髪に挿したその花の名に恥じぬ大輪の如く柔らかな笑顔のまま光秀を見上げて来た凪を前に、光秀は眼を瞠った。とく、とく、と冷たい身体を脈打つ鼓動が耳朶へ直接聞こえて来たような錯覚の中、光秀はなにもかもを誤魔化してしまうかの如く、呆れを含んだ溜息を漏らす。伏せた睫毛が微かに揺れ、口元へようやくいつもの笑みが浮かんだ様を見て、凪がまたひとつ、嬉しそうに笑った。
「……まったく、お前という奴は」
「光秀さんには言われたくないです」
ところでわだかまりという程の事でもないが、いつものような調子に戻った二人は、一つ重要な事を忘れている。
否、光秀に至っては別に忘れてなどいなかったが、凪があまりにも懸命に言い募って来るものだから、ついそのままにしてしまっていた。
───そう、ここはまだ大広間。室内には残った信長を始めとした武将達と蘭丸が居るのだ。
口火を切ったのは、光秀の席の傍で成り行きをにこやかに見守っていた蘭丸である。
「よかったあ!お二人が仲直り出来て!」
「……!!?」
「まったく…何で俺達、こんなやり取り見せつけられなきゃならないんですか。阿呆くさ…」
「お二人の仲が戻られて本当に安心致しました」
蘭丸の言葉にびくりと肩を跳ねさせた凪は、現在置かれている状況を思い起こして恐恐と周囲を見回した。
そこには呆れた面持ちの家康と蘭丸に負けず劣らずの輝かしい笑顔を浮かべた三成の姿があり、じわじわとせり上がって来る羞恥心に凪の耳朶が朱を散らす。
「や、あのこれは…!別に変な意味じゃなくてですね…!?」
「……ほう、あんなにも愛らしい笑顔を向けておいて、意味はないとは…随分つれない事を言うな、凪」
「光秀さんは誤解を深めるような事言わないでください…!」