第11章 術計の宴 後
「優しいんだな、お前は。これからは困った事があってもなくても、どんどん頼ってくれて構わないぞ。堅苦しい言葉遣いもなしだ」
「え、そんな急に砕けるのはちょっと…」
一気に雰囲気が柔らかくなった秀吉に対し、言い淀みながら困ったように笑った凪の様子を一瞥しつつ、無言で一連のやり取りを見守っていた光秀が静かに口を開いた。
「凪、お前は千代と先に部屋へ戻っていろ。後で迎えに行く」
「……え?」
「…おい、光秀。お前、」
瞼を伏せつつ、凪を視界へ映さぬよう口にした光秀に対して小さく疑問を零す不安げな凪の表情を垣間見て、秀吉がつい口を挟みかける。だが、追及を逃れるかの如く席を立った光秀が信長へ一礼して歩き出そうとしたのを目の当たりにした瞬間、半ば無意識に凪が立ち上がり、小走りで彼の元へと向かった。
「待って!」
伸ばした指先が白い着物の袖を掴む。さしたる力も込められていない凪の拘束など、軽く腕を振ってしまえば簡単に解けてしまうというのに、光秀にはどうしてもそれをする事が出来なかった。
くい、と袖を緩く引かれる。小さな動作にほんの僅か、苦く眉根を寄せた光秀に構う事なく、凪は凛とした声色で告げる。
「ねえ光秀さん、こっち向いて」
鼓膜を打つ音はただ呼びかけているだけだというのに、何故か凪の声色にそれを乗せられてしまうと有無を言わさぬ響きを帯びる。否、彼女はそこまで強制的な色を見せているわけではない。有無を言わさぬ、と感じているのは、己の心が彼女へ向けられているからという事に他ならない。
柔らかで甘い拘束は、凪の意が仮に無くとも光秀を縛る。故に、男には振り向かない、などという選択肢など存在し得なかった。
吐息をそっと溢し、苦々しい心地をそこから追い出すと緩慢に振り返る。
身を翻した事で袖を掴んでいた彼女の指先が自然と離れ、腕が下へと落ちた───と思ったが、突如伸ばされた両手が光秀の両頬を包み込み、ぐいと顔を凪の方へ近付けられた。
摂津でされた時と同じように、軽く背伸びをした凪の顔が男の端正な面持ちへと迫る。