第11章 術計の宴 後
(いや、私じゃなくて信長様を見てる可能性もあるし…もしくは何かやらかさないか気になってるとか)
今は取り敢えず目の前の事に集中しようと思考し、信長がおもむろに差し出した空の盃を見る。女中もまた空となった盆を傍らへ置き、固唾を呑んで見守っていた。
「…失礼します」
天下人に酒を注ぐ時は果たして何と声をかければ良いものか。よく分からなかった為、摂津の時と同様無難な事を言いながら信長が手にした盃へ酒を注ぐべく、そっと銚子を傾ける。
背中には秀吉からの油断のない視線が注がれていて、その無言の圧を否応無しに感じていた凪は内心でそっと苦笑した。別にただの酌だというのに、一体何をそこまで警戒しているのか。
(きっと豊臣さんは信長様の事が大事で仕方ないんだな)
敬愛する主君に無礼を働かないか見張っているのだと思えば、幾分気が楽になった。
静かに器へ満たされて行く澄んだ透明な液体は、酒倉で下働きの男に見せて貰ったものと同じである。ゆらゆらと揺らめくそれが盃に半分程注がれた時、凪はふと感じた小さな違和感に手を止めた。
(……あれ、)
銚子を傾ける事を止めた凪がそっとそれを引くと、信長は盃をそのまま口元へと運ぶ。
やがて彼女の中の違和感が明確な形となった時、咄嗟に傍らへ銚子を置いて身を乗り出した。
「駄目…────っ!!」
必死に伸ばした手で唇が触れようとした盃を払う。
奥側へと押し出すようにしたそれは無人の畳の上へと中身を零す形となり、空の盃が虚しく転がった。
一瞬にして冷たい静寂に満たされた大広間の雰囲気にも構わず、凪は盃を持っていた信長の片手を引き寄せ、自らの着物の袖で男の手を拭う。
幸い酒が掛かっていなかったらしい事を確認し、安堵の息を漏らした瞬間、彼女の背後で秀吉が低い声色のままに音を発した。
「……凪、どういうつもりだ」
「…!」
静まり返った空間の中、大勢の家臣達の訝しみに満ちた視線と、武将達の何処か戸惑った、あるいは見定めるかの如く厳しい視線が一斉に凪を刺した。
咄嗟の事とはいえ、さすがに信長の盃を弾き飛ばすのはいけない事だったと即座に反省した凪はしかし、信長の手を離した後で秀吉へ向き直る。