第3章 出立
着物の袖と白い袴の裾が穏やかな風に揺れる様は、すらりとした立ち姿と相まって美しい。男性に対してそのような表現は如何なものかとも思ったが、伸びた姿勢の立ち居振る舞いが実に洗練されたものであると素人目にも分かるのだから、それ以外に的確な表現を見つける事が出来ない。
かがみ込んで中身を濯ぎ、一本ずつ濁りのない綺麗な水を汲んでいる男の背を眺め、早く食さなければと握り飯をやや大きめに頬張り、ようやく全て食べ終えた凪がそっと息を吐いた刹那、自身にとって覚えのあり過ぎる感覚が唐突に襲って来た事に、人知れず身を硬くした。
(っ…、ヤバい。このタイミングで…!)
どくん、と鼓動が大きく跳ねる。まるで不整脈のように忙しないそれが僅かに呼吸を乱し、思わず胸中で焦燥を吐き出すと、唇を引き結んだ。
(バッグ持ってかれた所為で、コンタクトの処理出来なかったから、今は外してるのに…っ)
普段、【それ】が起こっても問題ないように、両眼にはめている黒のカラーコンタクトは、今は外したままだ。
咄嗟に両手で目を覆う。顔を不自然でない程度に俯かせ、閉ざす事の出来ない瞼の代わりに前髪で影を作った。
─────…どこかの森、生い茂る木々の合間を縫って、黒装束の男達が複数人、中心に立つ光秀へ白刃を抜き放っている。
彼の左二の腕辺り、白い着物の袖が赤く染まっていた。襲い来る男達の凶刃を防ぎ、舞うような所作で刀を捌く光秀の反応が、傷の所為だろうか、僅かに遅れた。
刹那、背後を衝いた男の刀が振り上げられる。振り向きざま、左の肩口に白刃を受けた光秀の半身が、赤く染め上げられた…────
「─────…い、……おい、どうした?具合でも悪いのか?」
大きな掌に左肩を軽く揺さぶられる。凪の目の前に片膝を着いた状態で屈み込み、顔を覗き込むようにしていた光秀が、真摯な表情のまま、やや硬い声色で問いかける。
「…ッ!?」
詰めていた息を吐き出し、いまだ両手をあてがったままで居る凪は取り繕いの様子を隠す事も叶わないまま、しかし平常のように口を開いた。
「すみません、ちょっと目に睫毛が入ったみたいで…」
些か無理のある返しだとは思ったものの、咄嗟の言い訳でろくなものが思い付かなかったのだから、それで通すしかない。