第3章 出立
「少し味が濃いと思ったが、味噌だったか」
「…え?」
起伏のない音を隣で聞き、つい光秀へ首を巡らせて彼を凝視してしまった凪が、目を瞠った。
表情がない、というよりは呆気に取られた様を見遣り、彼は片眉を持ち上げる。
黒々とした目を更に大きく見開き、薄い色の唇を無防備にも僅かに空けたその様は、無表情か渋面しか彼女の表情を見た事のない光秀にとっては初めて見るものだった。
「…顰め面ばかりを見せていたと思ったが、そういう間抜けな表情は初めて見るな」
揶揄を含ませた音の後、口角を緩やかに持ち上げる。表情について指摘された凪は無性に気恥ずかしくなり、先程抱いた戸惑いとも疑念ともつかない感情を一瞬見失った。
「そんなに間抜けな顔はしてません…っ」
「それは失礼」
瞼を伏せて笑みを深める様を前に、凪は次いで発する言葉を呑み込む。確かによく見れば光秀は咀嚼も少なく、凪のように味を楽しんでいる様子はない。
竹筒を置き、もう一つの握り飯を持ち上げた時には、既に光秀は二つ目のそれを食べ終えていた。
口にした握り飯は、やはり現代の味に慣れきった凪の舌にも美味しく感じられる。しかし、先程光秀が発した言葉の意図を踏み込んでしまうのは何となく憚られて、視線を自身の膝上へ投げた。
(多分、さらっと話題を変えられた)
近付いたつもりはない。彼は自分を少なくとも怪しいと疑っているし、凪も同じように少し前までは疑っていた。
最低限の言葉は交わしていても、価値観の大きく異なる二人の間には、それぞれ互いを踏み込ませない境界線が引かれている。無論、それは光秀に限った話ではなく、自分とてそうなのだから。
(ここはやっぱり、どうあっても戦国時代なんだな)
ぼんやりとそんな事を思いながら食事を進めていた凪の隣で、おもむろに光秀が立ち上がる。
「竹筒を寄越せ。空になっているなら、汲んで来てやろう」
「え、あ…すみません。ありがとうございます」
ちょうど先程空になったばかりの竹筒を、申し訳なく思いつつも光秀に手渡し、彼の申し出に甘えた。
二人分の竹筒を手にして川の付近へ歩いて行った光秀の背を視線で追う。
まだ正午ではないだろう中途半端な位置まで昇って来ていた陽射しが水面を反射させ、キラキラと光った。