第10章 術計の宴 前
面持ちは怒っているような様であるのに、声色はその限りではない。不器用な目の前に居る自らの主と、その簪の贈り主の姿を脳裏へ思い浮かべたお千代は、何処か呆れた様子で、しかし微笑ましそうにそっと口元を綻ばせた。
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髪へ挿した真白な一輪の芙蓉と共にお千代によって飾り立てられた凪の姿はすっかり姫君のそれとなった。
あれこれと準備を進めつつ、適度に休憩してお千代と談笑している内に、気付けばすっかり宴の刻限となってしまったらしい。明確な時間が定められていないこの時代、数人が宴の場に集まり、上座へ座す信長が揃ってしまえば勝手に始まってしまうのだとざっくりした説明を受けた凪は密やかに安堵した。
初回の宴で遅刻など正直笑えない失態である。
そもそも、現代と違ってそこまで時間に縛られていない戦国時代の人々の、主に城仕えしてる者達にとって基準は城主や主君であり、定刻というものは重視されない事の方が多いらしい。
「さあ、宴の席へと参りましょう。恐らくもう皆様始められているかと思いますが、そこはお気になさらず。遅れて参った方が皆の注目を集めるというものです」
「いや!そんな目立たなくても全然いいんだけど…!片隅でひっそり参加したい…」
「まあそんな勿体ない。こんなにお美しいのに片隅だなんて。むしろ凪様を放っておくような殿方がいらしたら、それはもう男ではございません。ただの根性無しです」
「ちょっと極論が過ぎると思うよ、千代…」
もしかしてお千代は自分がまだ対人関係的に針のむしろ状態である事を知らないのだろうか。
疑いが完全に晴れていない状態で着飾り、あまつさえ遅れて登場する事になれば場が一気に白ける事請け合いだ。
広間へ足を踏み入れた瞬間、向けられるであろう冷たい視線を想像するだけで凪の気はぐっと重くなった。正直に言えば、いっその事欠席したい勢いだったが、湯浴みの行き帰りに垣間見た女中達や家臣、厨番や下働きの人々の忙しない様子思えば、簡単に投げ出せるようなものでもない。
(せっかく頑張って用意してくれたのに、顔すら出さないのは失礼だよね。顔を出してある程度挨拶とかが終わったら、そっと帰ろう…)
再度大広間へ促したお千代に小さく頷き、凪は意を決した様子で足を踏み出した。