第10章 術計の宴 前
有無を言わせぬ美しい笑顔で言い切り、早速湯浴み場へ向かいましょうと告げた彼女にされるがまま、渋々凪は自室を後にした。
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凪の自室から湯浴み場は少し距離があり、幾つも角を曲がって辿った廊下の先、厨番達が忙しなく動く厨や料理の材料などが貯蔵された物置部屋を越えた先にある。
おそらく細部まで目を凝らせば何らかの違いがあるだろう襖の絵柄や納戸の木戸などが幾つも並んでいる廊下は、安土城へたった一日しか実際に滞在していない凪にとってはもはや大迷宮だ。
お千代が居なければ絶対に目的地までなど辿り着ける筈もなく、自身の半歩後ろを歩く彼女へつい視線を向けて確認をしてしまう。
側仕えたるもの主の前を歩くべからず、そう告げたお千代は凪を先導するのではなく、あくまでも控えた後方で行く先を言葉にて示してくれていた。
次は右へ、次は左へ、とすらすら述べられる道順を辿る内に、もう自室が何処にあったのか分からなくなった凪は一人で城内に放り出されたらどうしようと内心で焦燥していたが、それはひとまずの杞憂に終わりそうだ。何故なら、凪はまたしばらく安土城から離れる事となるのだから。
「そういえば、先程信長様よりお伺い致しました。なんでも護衛を仰せ付かった光秀様が、凪様をご自身の御殿でお預かりされるとか…」
「うん、さっきの軍議で急に決まって、そんな感じになったみたい」
色々と世話を焼いてくれるお千代相手にタメ口は正直憚られたが、部屋を出る前に彼女へ言われた事もあり、凪は努めて普通の口調で接するようにしている。
何処と無く嫌そうに聞こえたお千代のそれへ内心首を捻りつつ、先刻の軍議で決まった事を伝えると、視界の端に映り込んだお千代の美しい面が歪んだ。
「まったく何という事でしょう。わたくしの御役目をまたしても奪うなど。いっそこの千代も光秀様の御殿に移り、凪様のお傍に仕えさせて頂けないかと信長様に直接嘆願申し上げましたが、力及ばす…口惜しき事です」
(…千代、信長様に交渉したんだ。見掛けに寄らず凄いフットワークの軽さだ)