第10章 術計の宴 前
「凪様、出来れば今後におきましては、わたくしの事は千代、と呼び捨てにてお呼びください。貴女様が気さくな良い方とは重々承知ではあるのですが、側仕えを敬称付けで呼ぶ姫は周りの目に不審に映るでしょう」
「あ…なるほど。分かりました」
「お言葉ももっとぞんざいで構いません。難しればせめて柳達に接していたような、砕けた口調にてお話ください」
「わかり…じゃなかった。うん、気をつける」
何処となく真摯な面持ちで告げられた事に対し、凪は重要な用件なのだろうと居住まいを正して真っ直ぐにお千代を見る。ふと眦に艶を乗せた切れ長の目が僅かに綻び、笑みが浮かべられた。
「お願い致します。宴には信長様や武将様方以外にも、別間には家臣達もおります。そして信長様は恐らく、凪様へ酌をお命じになるでしょう。その時は決して断らず、お受けくださいね」
「うん、大丈夫」
「貴女様は織田家ゆかりの、まして秘蔵の姫君。まだ貴女様の事はほんの一握りの家臣や女中しか存じ上げません。いわばこれはお披露目の儀でもございます。返盃は出来るだけお受けいただきたく思いますが…もしお辛いようであればそのような素振りをなさいませ。決して素気無くなさいませんよう」
「失礼にならないよう、お断りするんだね」
正直、この時代の宴のあれこれを知らなかった為、お千代の忠告はとても助かる。
偽ではあるが、表向きは織田の姫君。粗相のないように心がけ、この宴を乗り切らなければならない。
凪がしっかりと頷いた様を見て、お千代は何処か安堵した様子で口元を緩めた。やがておもむろに立ち上がると、彼女は部屋の片隅に用意していた包みを手に取り、凪へ振り返る。
「それでは宴に向けた身支度の為、まずは湯浴みへ参りましょう。既に準備は整っております。わたくしが隅々まで磨き上げて差し上げますね」
「え、それくらい自分で…」
「側仕えの務めにございますれば」
清々しい笑顔のまま告げられた言葉に凪がつい顔を強張らせた。生粋の姫君ならばともかく、一般人である凪にとって人に身体を洗われるというのはなかなかに耐え難い羞恥なのだが、言って聞かないのがお千代という女中である。