第10章 術計の宴 前
「…なあにそれ、忠告のつもり?」
あくまでも笑みの表情を崩す事なく告げ、瞼を覗かせた光秀を見て、蘭丸は憮然と言い返す。くるくると表情が変わる事に定評のあるこの小姓が、このような表情を向けて来るのは恐らく自分相手くらいなものだろう。そんな事を思いながら、それ以上は特に何も言わず、光秀は凪の部屋とは真逆の方向へと歩き出した。
てっきり凪の部屋へ行くものと思っていたのだろう蘭丸は些か驚いた様子で大きな双眸を見開き、思わず声をかける。
「凪様のところへは行かないの?」
しばらく進んだ廊下の先、距離の空いたそこで一度歩みを止めた光秀は、緩慢に振り返った。感情の読めない男の口元には相変わらず貼り付けた笑みが乗せられており、真意の見えない黄金色の眸はただ蘭丸を映している。
「立入禁止と言われてしまったからな。……しばらくは大人しくしているとしよう」
それだけを告げて立ち去って行く光秀の姿を見送った蘭丸は、男の背が角を曲がって完全に見えなくなった後、小さく呟いた。
「………光秀様も、ああいう顔するんだ。ちょっと意地悪し過ぎちゃったかな」
思い出すのは、自分が割って入る直前の男の顔。
凪が発した小さな音に対し、何処か辛そうな、あるいは何かを必死に抑え込んでいるような表情をしていた光秀の表情だった。それは蘭丸が声をかけた事ですぐ消し去られてしまったけれど、実際に目の当たりにしてしまった自分には、少なくともあの表情が演技であったようには見えない。
身を翻すと、角を曲がった先を少し進んだところにある凪の部屋の襖が見える。
一体何の話がこじれてああなったのかまでは知らないが、なんとなく早く二人が仲直り出来ればいいなと漠然と思いながら、蘭丸は表情を改めると、光秀とは反対の方向へ歩いて行ったのだった。
───────────…
蘭丸と分かれた廊下を進んだ先、反物や着物などが収められている一室は凪の自室と同じく、宴の準備を進める喧騒からは少しばかり離れている。
大きな柱が打たれている廊下の一部は落ち窪んだ形となり、壁へ背を預けてしまえば、柱がちょうど良い死角となって一人ならば反対側からは何も見えない。