第10章 術計の宴 前
(…え、誰!?可愛すぎじゃない!?)
一瞬自分が先程まで光秀に文句を言っていた事を忘れて心の中で突っ込んだ凪を他所に、さして動揺した様子のない光秀が壁についていた片手をおもむろに下げ、追い詰めた状態であった彼女から一歩距離を取った。
やがて、いつもと変わらぬ表情のまま口元だけにゆるりと笑みを刻み、光秀が肩を竦める。
「久し振りに顔を合わせたかと思えば開口一番にそれか、蘭丸。それと勘違いをして貰っては困る。俺は別に苛めてなどはいない」
蘭丸、と名を呼ばれた少年は光秀の言い分に眉根を寄せ、いかにも訝しんだ様子で首を傾げた。その後で呆然としている凪の方へ向き直り、至極心配そうに顔を覗き込んで来る。
「光秀様はああ言ってるけど、本当?」
「え…、あ、苛められてます」
「やっぱりそうなんだ!可哀想…光秀様は本当に意地悪だから、怖かったでしょ?俺もよく苛められるんだぁ」
美少年に嘘はつけなかった。一歩近付く度に絶世の美少年っぷりをまじまじと見せつけられ、言われるがまま頷いた凪を見て光秀はやれやれと瞼を伏せて緩く首を左右に振る。
そうして凪へ近付く蘭丸をさながら制するよう、二人の前へ一歩割って入った男はそっと貼り付けた笑みを浮かべた。
「まさにこれから可愛がるところだったんだが、どこかの小鼠が割り入った所為でそうもいかなくなった。……お楽しみは後で取っておくとしよう」
「結構です…!」
最後のくだりだけ凪へ僅かに振り返って告げると、即座に拒絶の言葉が返って来る。拗ねていた色より、むっとした様子で苛立っている凪の表情を目にし、内心で幾分安堵した光秀の眼差しが不意に柔らかさを帯びた。
それを目の当たりにし、凪が驚いた様子で微かに目を瞠るも、彼女が何かを口にする前に光秀はすぐ正面に立つ蘭丸へ向き直る。
「それで、お前は何故こんなところに居る。宴の準備を手伝わなくてもいいのか?」
鷹揚に問う光秀の眼が微かに探るような色を帯びた。
凪を背にしている状態の為、彼の表情は蘭丸だけが目にしている。眇められた切れ長の眸を前に、動揺した素振りを見せぬまま蘭丸は人好きのする笑みを浮かべた。