第10章 術計の宴 前
耳へ注ぎ込まれる音は甘く、しかし何処とない酷薄さを孕んでいるようにも思え、掠れた光秀の声に身を竦ませた凪だったが、向かう視線の先、そこが小袖の合わせだと気付いて唇をぐっと引き結ぶ。
「……別にあの人とは大した話なんかしてません。軍議でも少し言いましたけど、次は芙蓉の簪を贈らせてくれとかなんとか言ってただけで、それ以外は少なくとも手掛かりになりそうな事なんてないと思います」
顔を俯かせ、感情を押し殺した様子で淡々と告げる凪の黒々とした眸が揺れて、ほんの僅か淋しげに歪んだ。
初めて目にする彼女の様子に、光秀の指先から力が抜ける。自然と解放される形となった自らの片手を引き寄せ、胸の前で軽く拳を握った凪の心は湧き上がる様々な感情で酷く波立っていた。
今までもこうして触れられながら答えを求められた事はあったし、決して初めてなどではないけれど、有無を言えない行動の裏には光秀なりの気遣いがあったように思えていた。
けれど、今は少し違う。何か見えない押し隠したものがあるように思えて、それを無性に寂しく感じたのだ。
(………寂しい、なんてそもそも私が思える立場じゃないんだけど)
「亡霊さんに関して隠すつもりは無いし、光秀さんにだって協力したい。だから、普通に…こんな風にしなくても、ちゃんと答えますよ。さっきすぐに言えなかったのは、何かあったかなって思い返してただけです」
「……凪」
俯き押し殺したまま抑揚無く告げる凪はやがて顔を上げると真っ直ぐに光秀を見やる。黒々とした眼を逸らす事なく相手へとしばし注ぎ、やがてふい、と珍しく顔を横へ背けた後、眉尻を下げた複雑そうな面持ちで凪がぽつりと溢した。
「────……馬鹿」
拗ねているような声色のそれを耳にした瞬間、光秀の眼が瞠られる。半ば衝動的に片手を男が持ち上げようとしたその時、二人の間に流れる空気感とはまったく異なる高めの愛らしい声がそこへ割って入った。
「あーっ!光秀様が女の子を苛めてる!」
「!?」
突如として響いたそれへ、さすがに驚いたらしい凪が廊下の曲がり角の方へと振り向き、果たしていつの間にやって来たのか分からない、しかし異様に愛らしい少年の姿を目の当たりにして目を白黒させる。