第10章 術計の宴 前
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光秀に手を引かれて歩きながら辿り着いた先は安土城で凪があてがわれた部屋──ではなく、その付近の廊下の角であった。
比較的安土城の中でも奥まった箇所にある凪の自室は大広間から幾分離れている。突如開かれる事となった宴の準備で家臣や女中達は厨で料理の支度や酒蔵への仕入れなどに忙しなく動いており、その喧騒は少し遠い。
よって、要するにこの場は人気がなく、いわば二人の空間と言っても過言ではなかった。
ただし、情人同士の逢瀬といった色めいた空気は、ここではまったくと言っていい程に感じられない。
「……さて、幾つかお前に訊きたい事がある」
(うわ出た、【訊きたい事がある】のターン!)
壁際へ追いやられた凪を閉じ込めるよう、彼女の真正面へ立った光秀は微笑を乗せて囁いた。
幾度か既に摂津で味わった光秀の【質問】へ、ぐっと身を引き締めた凪が内心でよくわからない名称を付けていると、片手を凪の顔横の壁へとん、と置いた男が黒々とした眼を覗き込んで来る。
「まずは一つ目の質問だ。…お前、八千殿からその名を聞いた時には全く反応を示していなかったにも関わらず、先の軍議では、龍虎の件で何やら面白い顔をしていたな?」
「それは…っ」
確認されるだろうと思っていた事だが、やはり訊かれたか。
後で何か言い訳を考えておこうと思ったものの、色んな話が次から次へと飛び出した所為でまったくその余裕がなかった凪は、中途半端なところで言葉を呑む。
よもや正直に、実を言うとあの梅干しの壺も上杉謙信に仕えている友人から貰いました、などと言える筈がなく、必死に思考を巡らせた彼女はやがて真っ直ぐに光秀を見つめ返した。
「……実は、有崎城下で光秀さんを探してる途中、そんな名前を誰かが呼んでいたのを聞いたような気がして。だから、ちょっとびっくりしたんです」
凪が口にしたのは全くの真実という訳でもないが、あながち嘘でもない。下手な嘘をついても見抜かれるだろうと、限りなく真実に近い誤魔化しをした凪の眼を、探るような金色の眼が間近で見据える。
「……どちらの名だ」
「謙信様、って言ってました」
佐助に対する罪悪感を抱きながら、低く紡がれた音へ簡潔に応える。