第10章 術計の宴 前
厳かに言ってのけた主君に対し、僅かな沈黙の後、瞼を伏せる事で敬意を示した光秀の返答が鼓膜を震わせる。
光秀と秀吉とのやり取りで一瞬緊迫感が増した広間であったが、無事に事なきを得て胸を撫で下ろした凪を一瞥し、信長は再び脇息の上についた指先をとんとん、と二度打った。
「しかし、せっかく手に入れた縁起物を愛でる間もないというのはつまらんな。……今宵、益なる報せを持ち帰った二人を労い、一席設ける事とする」
信長の発言に、各々驚いた様子を見せた武将達だったが、それに対して最初に反応してみせたのは事の成り行きを思いの外冷静に見守っていた政宗である。
「お、信長様からそういう話が出るのは珍しいな。いい機会だ、美味いもんたらふく食わせてやるよ」
「では、宴の準備をしなければいけませんね。私もお手伝いいたします」
「……お前は厨に来ると邪魔にしかならないから、大人しくしてろ三成」
解けた緊迫感に密やかに吐息を漏らした凪は、そっと視線を光秀へと向けた。
果たしていつから自らの方を見ていたのだろう、ぱちりとぶつかった視線に小さく肩を跳ねさせた凪の反応を面白そうに笑いながら見ていた光秀の口元が弧を描く。
「そういう訳だ。…俺が冗談を言う男ではないと分かっただろう?凪」
「あれを本気で受け取る人は誰もいませんよ!」
緩やかになった雰囲気につられ、ついいつもの調子で返した凪を面白そうに眺めていた信長と、何処となく釈然としない様子の秀吉が見ていた事など、彼女自身はまったく知る由もなかったのだった。
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そんなこんなで四半刻程に及ぶ軍議が終了し、夕餉の時刻に合わせて宴が開かれる形となった為、武将達は家臣や女中、厨番(くりやばん)への指示や準備をする事となる。
最初に席を立った信長を見送った後、そっと末座へ戻った凪は、さすがに先頭を切って部屋を出るのもいかがなものかと思い、武将達が立ち去ってから最後に出ようと片隅で小さくなっていたが、予想外にも隣で座していた三成がにこやかな笑顔で声をかけて来てくれた。
「凪様、お出迎えも出来ず申し訳ありませんでした。おかえりなさいませ。ご無事で何よりです」