第10章 術計の宴 前
おおよそ反論される事などわかり切っていたかの如く、光秀はいつものように飄々とした笑みを口元へ微かに浮かべてみせる。
「仮に多忙であっても小娘一人、お守(も)りをする事くらい造作もない。それにお許しをいただけるのなら、凪は俺の御殿へ住まわせるつもりだった。その方が色々と都合が良い」
「なっ…!?」
「えっ!?」
すらすら並べ立てられる言葉に絶句したのは秀吉だけではない。うっかり秀吉の息を詰まらせる音と自らのそれが被ってしまい、何処か気まずい心地になりながら瞠った漆黒の眼で光秀を見る。
ふと、安土へ至る帰路で交わした言葉が彼女の脳裏へ蘇った。
───城がそんなに嫌なら、俺の御殿へ来るといい。
───俺が冗談でそんな事を言うような男に見えるか?
(あれ、本気だったの!?)
青天の霹靂である。馬上でのやり取りにおいて、あれはただの光秀の冗談だと思っていたが、何となくしてやられた心地になり、眉根を寄せた。光秀は一体何処までが本気なのか冗談なのか、その境が分からない時がある。
秀吉がああして声を上げているのも、原因の一端はそういうところにあるのではないかと、つい思ってしまった凪だった。
「お前…何処まで勝手な事を言えば気が済む…っ」
「……俺は凪に関して、危険な状況を作ってしまった責任を取ると言っている。いずれにせよ、お決めになるのは信長様だ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「…貴様ら、少し黙っておれ」
苛烈な言い争いに終止符を打ったのは信長の鶴の一声である。
互いに申し訳ございません、と控えた様子に戻った光秀と秀吉を他所に、ぱしん、と再び手の中で鉄扇を打ち鳴らした信長は、扇の先を包んでいた片手を脇息の上へ戻すと、長い中指でそれを幾度か脇息へ軽く打った。しばしそのまま無言を貫いた男は、やがて口角をゆるりと持ち上げると、光秀へ視線を投じる。
「…いいだろう。今一度凪は貴様へ預けてやる」
「……ありがとうございます」
信長が良いと言った以上、他の何者も口出しは出来ない。
まして、光秀自身は責任を取る、即ちけじめを付けると言ったのだから、これ以上何かを申し立てるのは無粋というものだ。