第10章 術計の宴 前
たった一瞬の事である為、ともすれば見逃してしまいそうなその表情を確かに捉えていた信長は、口元へ浮かべていた笑みを静かに消し去り、自らの左腕と凪へそれぞれ意識を向ける。
言葉の最後に付け加えられたくだりを耳にし、凪は小さく音を零した。簪、と告げられて思い浮かぶものなど、一つしかない。
光秀に指摘されて気付いた、いつの間にやら髪に挿されていた黒い玉飾りに真紅の錦木が描かれたものの事である。
おもむろに頷いた光秀が幾分低い声色で紡ぐのを他所に、色々な事で清秀相手に翻弄されている事実へ密やかな苛立ちを覚えた凪の表情が憮然とした。
「……あの人、多分平手喰らった腹いせに、ただ嫌がらせしたいだけなんだと思います。次に会ったら新しい簪をあげるとかなんとか言ってましたけど、人を手のひらで転がして楽しんでるんでしょうね」
「……ほう?」
ひくり、と光秀の柳眉が顰められる。喉奥から零された低いそれは短いものだったが、仄かな怪訝と怒気が孕まれている。
とはいえ、男の発した感情に気付いたのはどれ程居るだろうか。前方と横から向けられる好奇を孕んだ視線に光秀が気付かぬ訳がなく、すぐさま色を消し去って瞼を伏せたが、少なくとも、凪はそれに気付く事は出来なかった。
彼女にとって清秀とはその程度の印象であり、彼の言葉は全て上辺だけにしか聞こえていない。
「人を人形かなにかだと思ってるんですよ、自分の気分で飾って、興味がなくなったら簡単に捨てるタイプ…じゃなくて、性格なんだと思います」
苛立たしげな凪の発言に、光秀は何も答えなかった。
【危険な遊び】と称した簪を贈ったところを見ると、清秀にとってはまだ遊びの範囲内なのかもしれないが、それにしてはなかなかに執心して来る。そもそも、底の知れない男が容易に本音をさらけ出して来るとは考え難く、だからこそ光秀の中ではいっそうの疑念が膨らんだ。
なによりも、まるで自らのものであるかのように凪を翻弄するあの男を思うと、異様な程勘に障る。
「……確かに、あの男は人を人と思っていない節がある。いつ気まぐれを起こすか分からない。その文の内容を本当に鵜呑みにしてもいいとは思えないが…」
「さて、どうであろうな」