第10章 術計の宴 前
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久し振りに足を踏み入れた安土城は、正直懐かしいという程の感慨を持つような愛着こそ持っていなかったが、やはり敵地よりは安全な地であるといった認識くらいは染み付いていたらしく、与えられていた自室へ足を踏み入れると自然と肩の力は抜けていった。
城内へ入った後、廊下で待っていてくれたらしいお千代に促されるまま自室へ向かった凪は、そこで旅装束であった着物と袴をむんずと剥ぎ取られ、暖かな湯の張った桶に手拭いを浸しながら汗ばんだ身体を綺麗に拭き上げられる。
自分でやると言った凪に対し、久し振りの側仕えの御役目だからと決して譲らなかったお千代との攻防戦があった事はさておき、綺麗な小袖と打ち掛け姿へ着替えさせられた彼女の髪を梳き終え、凪は久し振りとなる【織田家ゆかりの秘蔵の姫】スタイルへと変わったのだった。
────そうして現在、凪は広間へと繋がる襖の前に支度を終えるまで廊下で待っていてくれたらしい光秀と二人、並んで立っている。
「失礼致します」
(そんな急に行く!?)
心の準備をする間も無く襖の向こうへ声をかけた光秀へ内心で突っ込んだ凪だったが、無情にも目の前の襖はさっと開かれた。広がったのは数日前に見た豪勢且つ広々とした大広間であり、一段高くなった最奥、上座で脇息へ肘をかけた信長が二人を視界に認め、口角を僅かに持ち上げる。
信長の手前、一段下がったところには、先に戻っていたのだろう秀吉とその隣に三成、中央を挟んで向かい側には一つ空いた席と、その隣に政宗、家康が並んでいた。
「行くぞ」
室内へ足を踏み入れる事を躊躇った様子の凪に対し、光秀は短くそれだけを告げると視線を軽く凪へ投げ、それから信長の側、秀吉の真向かいとなる席へ進んで行く。
出遅れてしまった凪の姿をふと捉え、三成は柔らかな笑みを浮かべると、空いている自身の隣へ彼女を促した。
「凪様、どうぞこちらへお座りください」
「…はい」
優しく眇められた紫色の眼へ安堵した凪は、三成に促されるまま彼の隣へと正座する。元々物腰柔らかに接してくれていた三成は、凪の中でまだ気を張らずにいられる相手であるので、彼の隣となったのは少なからず幸いだった。