第10章 術計の宴 前
「別に意識してそういう事をしていた訳でもないけど、同じ相手だと飽きてしまうからね。…ただ、今回が例外なのは本当かもしれないな」
「理由は」
回りくどい話は好かないのか、簡潔に問いかけた帰蝶のそれへ、清秀は双眸の奥に何かを思い出しているかのごとく、おもむろに自身の片手を持ち上げてその白い手のひらを見つめる。
眇めた眸に仄かな甘やかさが混じり、そうしてそっと形の良い薄い唇を動かした。
「……私の可愛い姫君に、満たされるような何かを今からでも探した方がいいと、そう言われてね。だから、探す事にしたんだ」
「……なに?」
毒将と呼ばれた男の口から、よもやそのような言葉が発せられるとは思いもよらず、帰蝶の双眸が探るように清秀を見据える。怪訝さを隠しもしない帰蝶の萌葱色の眼を真っ直ぐに受け止めながら、視線を落としていた手のひらを下げた清秀はそれ以上語るつもりはないのか、ただ喉奥で愉しそうな音を漏らすだけだった。
「安心してくれていい。手を組むからには私もちゃんと働くよ」
「裏切りと謀略を得意とするお前相手に、安心しろと?…随分酔狂な事を言う」
「君も裏切ったじゃないか」
信長公を、そう続けた清秀相手に、帰蝶は何も言わなかった。
いくら言葉を交わしたとて、この男相手にまともな話は通用しない事は分かっている。
無言を通す帰蝶相手に肩を緩やかに竦めた清秀は、懐から一本の簪を取り出し、それを手の中で軽く弄んだ。
色が完全に濃い桃色へと変わった、大輪の酔芙蓉がかたどられたそれを認め、帰蝶の眼差しが冷える。
「お前のような男に好かれるとは、相手の女も憐れだな」
「…そうかもしれない。でも、君も彼女に会えばきっと分かるよ」
くるりと回した酔芙蓉の簪を正面に居る帰蝶へ合わせるよう、軽く持ち上げた。精巧な細工と意匠のそれは見事なもので、まだ日ノ本では珍しい硝子で造られた花の飾りは、日に透かせば濃い桃色の光がきらきらと散った。
帰蝶へ翳した簪の光が彼へ降り注ぐような錯覚を起こす様を目にし、清秀はそっと丁寧な所作でそれをしまい込む。
「……ああでも、そうなったら君も彼女を好きになってしまうかもしれないから、やっぱり会わなくていいかな」
「…くだらない戯言ばかり囀る口だ」