第9章 帰路
男の目に浮かんでいるのが、主に自分をからかう時に浮かべている色だと経験上知っている凪としては、容易にそれを鵜呑みにも出来ない。
「俺が冗談でそんな事を言うような男に見えるか?」
「見えます」
とんでもない即答だった。唇を不満げに引き結んだ凪を前にして、つい零れてしまいそうな笑いを押し込め、光秀はいかにもといった様子で肩を竦めると、長い睫毛を伏せてみせるが、口元には相変わらず弧が刻まれている。
「心外だな。今まで俺がお前に嘘をついた事は無かった筈だが……俺の言葉ではどうもお前の機嫌を取るには足りんらしい」
「寧ろ今のご機嫌取りの言葉だったんですか、伝わり難いですよ…!」
やれやれといった風の光秀の発言に眉根を寄せつつ文句を言うと、手綱を握っていた片手が凪の手をそっと取った。
そのまま導くようにして馬の手綱を凪へ持たせ、唇を彼女の耳元へ寄せると愉しげな色を乗せて囁く。
「代わりに、これで機嫌を直してもらうとしよう」
「…え、いいんですか?」
手綱を握らされたという事の意味を察せぬ訳がない。
反対の手も手綱へ導き、そっと握らせた光秀は自由になった両手の内、片方を凪の腹部へ回し、背後からそっと抱きしめた。
「いいから握らせている。好きに走らせろ、あまり馬を困らせるなよ」
「そんな事しませんよ…!」
両手で手綱を握らされた凪は、再度窺うように背後を仰ぎ見るが、振り返った先にある光秀の端正な面持ちに笑みが乗っているのを認めると、嬉しそうに双眸を瞠った後で再び正面へ向き直った。
普段ならば腹部へ回した腕へ何かしらの文句が飛んでくるというのに、手綱を握らせてもらった事の方へ意識が行ってしまっているらしく、お咎めはなしである。
穏やかな駆け足であった葦毛の馬の腹を軽く蹴り、速度を上げた。途端、風が二人の頬を強く撫ぜ、地を蹴る振動が身体へと伝わって来る。軽快な蹄の音と風を切る感覚が心地よく、久し振りに自ら手綱を持った事へ気を良くした凪の唇が嬉しそうな弧を浮かべる。
(やっぱり自分で走らせる方が楽しい!)