第3章 出立
「まだ断定は出来ない…が、昨日の軍議で信長様も仰られていたが、本能寺の一件を期に反旗を翻そうとする輩が居ても何らおかしくはない。それ程までに、織田軍には味方も多いが反面、同等かそれ以上に敵も多い」
「…なるほど」
淡々とした調子で告げられた事情に、凪が神妙な様子で相槌を打つ。しかし光秀の言葉を耳にしても、どうにも凪には腑に落ちない点があった。
(でも、本能寺の変の首謀者って明智光秀だって伝わってるけど…それはフェイクって事?そもそも首謀者が自分で怪しい所に調査に行ったりするかな。…いや、それこそがフェイクだったり?)
現代教育で染み付いた知識と、今自らが置かれている状況の差異が凪を静かに混乱させていた。確かに光秀は底が見えない。ほんの少しの時間を一緒に過ごしたところで簡単に理解出来るような人物でない事は流石の凪も分かっている。
(光秀さんが首謀者だったとして、私を連れ出したのは何で?例えば口封じだったとしても、信長様から【貸し出し】されてる以上、何かあれば光秀さんの責任になる。頭のキレるこの人がわざわざそんな事するかな)
軍議の場で信長が光秀に対して許可したのは、【無事に凪を信長の元へ返して寄越す】事を前提にしたからだ。つまり、妥当に考えて今回の旅は少なくとも不測の事態にならない限り、命の保証はされている。
(私のバッグを持っていったのも多分この人だろうし、出発した時に私を知る有意義な時間だって言ってた。…ていう事は?)
無言のまま悶々とあれこれ思考を巡らせている内に、ふと一つの可能性に行き当たった。
(私は光秀さんを、光秀さんは私を本能寺の事件の関係者だって疑い合ってる…!?)
凪は現代知識としての先入観から、光秀は突如現れて信長を助けたという不審点から。
だとしたら、とてつもなく不毛な事をお互いにし合っている事になる。お互い疑い合っているという事は即ち、どちらも白だという事だ。
最初の内は考えも及ばなかった事態だが、思い至ってしまえばそうとしか思えず、つい凪は背後の光秀を振り返り、その端正な顔をまじまじと見てしまう。
「…どうした、まるで狐につままれたような顔だな?」
どこか笑いを含んだ低い音と共に、金の眸がすっと眇られた。