第3章 出立
振り返らぬまま返事をして、風を切って走っている所為で渇く両目をぐっと一度閉じた。
「このまま行けば、あと四半刻ほどで安土の国境(くにざかい)に差し掛かる。そこを越える前に一度休憩するとしよう。政宗の強行軍に耐えうる体力ならば心配ないだろうが、馬も休ませなければならないからな」
「分かりました。…そういえば、凄く重要な事を確認してなかったんですが、訊いてもいいですか?」
「事と次第によっては答えてやらなくもないぞ」
土地勘がない為、どこが安土の国境なのかも理解できないが、要はあと三十分位はこのまま馬に揺られているらしい。自分達というよりは、二人を乗せて走る馬の方を案じていた凪としても、休憩というのは正直有難かった。
そうして、会話が始まった事を切っ掛けに、これまで気になっていた事を確認すべく一応伺いを立てれば、是とも否ともつかない返答を投げられる。
「私達は一体何処に向かってるんですか?今日の宿って出発前に言ってましたけど、つまり一日じゃ目的地に着かないって事ですよね」
「ああ、どうやらそのおつむは飾りではないようだな。…今回の目的地である摂津までは、悪路でなければおおよそ二日程で着く算段だ」
「摂津…?」
この時代の地理など分からない凪が、国名だけを告げられたところで理解出来る筈もない。軽く首を傾げた姿を背後から見やりながら、光秀は暫し口を閉ざして思案し、おもむろに再度口を開いた。
「そもそも今回の任は、先日起こった信長様暗殺の一件に繋がる可能性を探る為のものだ」
「え…?」
思いもよらなかったと言わんばかりに凪が背後の光秀を振り返る。
黒々とした元々大きな眼が見開かれ視線が注がれる。朝の光を受けて輝く黒曜石のようなそこに映り込む己の姿を認めた光秀は、表情のないまま、淡々と言葉を続けた。
「摂津とその周辺国で米の買い付けが密かに行われていると、俺の放った部下達から間を空けず、複数報告が入った。摂津はそもそも織田領ではあるが…信長様へ納めるつもりであれば、人目を忍んで買い付ける必要などない」
「じゃあ、謀反を起こそうとしてる…って事ですか?」
米は戦時の兵糧として、あるいは俸禄としても用いられる重要なものだ。米の動き程、戦の情報として有益なものはないと言われるくらい、この時代では重要視されている。