第9章 帰路
「ほう…行きでもこうして欲しかったのか。すまないな、気付いてやれなくて。今度はもっと上手く気を回そう」
「別のところに気を回して貰えます!?」
むっすりと眉間に皺を刻んだ凪の反論にも、光秀はただ面白そうにくすくすと喉奥から微かな笑いを零すばかりで、全く取り合う気配がない。
手綱を握っているのは凪の背後に乗っている光秀である為、彼の両腕が自然と前方へ回る形になっているこの体勢は、ぴたりとした距離感も相まって背後から抱き締められているようにも見える。
回された腕へ視線を向けた凪は、更なる文句を紡ごうとして、それを呑み込んだ。どの道安土へ戻れば、ここまで頻繁に光秀と接触する事はないだろう。
この数日間、彼と共に居て、光秀自身がかなり多忙な身だろうという事は凪も当然理解していた。
「……まあ、家に帰るまでが遠足っていうしね」
「【えんそく】とはなんだ」
「学校…えーと同じ年毎の子供達が集まって学ぶ場所があるんですけど、そこでたまに行われる皆で行く日帰り旅行みたいなものです。家に着くまでは油断するなよ、みたいな感じでも使われたりする言葉で、本当の意味は寄り道しないように、って事なんですけどね」
凪の言葉へ興味を示した光秀に対し、出来るだけこの時代であっても伝わりそうな形で解説する。
彼女の説明を耳にし、子供達が集まって学ぶ場所、と耳にした光秀の眼差しが一瞬眩しそうに眇められた。すぐさまそれを瞬きで消し去った彼は、続く言葉を耳にして合点がいったように一つ頷いてみせる。
「なるほど。ではここで言い換えれば、城へ戻るまでが任務といったところか」
「そんな感じです」
すぐに要領を得た様子で音を発した光秀に対し、意味が通じたようで安心した凪が振り返って笑った。
屈託ない穏やかな彼女の表情は、行きの道行きでは決して目に出来なかったものであり、摂津へと潜入していたこの数日間の中で、ようやく得る事が出来たその変化を光秀は柔らかな眼差しで見やる。
凪が愛しいと自覚し、認めてしまった男の目には目の前に居る彼女がとても眩しく、そして美しくも愛らしくも見えてしまうのだから、人の感情とはかくも現金なものであったのかと初めて知る事になった光秀としても、その感覚は何処か慣れないものだった。