第9章 帰路
「他に変わった事はなかったのか」
男の射抜くような視線を向けられ、香車は一瞬思案した。
八千が口にしていた明智光秀が連れている芙蓉という女の件である。香車は生憎と信仰しているものなどないし、自身の目に見えない事以外は信じない性質(たち)の人間だ。
確かに芙蓉は清秀が八千へ会いに来る事を言い当てていたが、その位であれば情報を上手くやりくりすれば決して不可能な事ではない。
何よりあの織田の化け狐、明智光秀が傍に居るのだから、その辺りは難なくこなせてしまうのではと考えた。
(それに、頭も俺と同じで目に見えねえもんは信じねえ性質だ。あの女の事は別に報告しなくてもいいか)
八千の言う通り、本当に天眼通などというものが存在するのならば、各国の大名達や無論目の前に居る男とて欲するのだろうが、何せ眉唾ものである。
自身の中でそう結論づけた香車は、男の問いかけに対して緩く首を振ってみせた。
「いや、特には。それにしても帰蝶の奴は一体何考えてやがるんですかね。突然船を出せ、なんざ」
「…はっ、さあな。俺はでっけえ花火を打ち上げられりゃあ、それでいい」
「まあそうですね。…て事で俺もまた船乗っていいですか、頭。慣れねえ敬語は肩が凝って仕方ねえや」
「好きにしろ、必要があれば適当に潜らせる」
香車の言葉に深く取り合う事はせず、真紅の双眸を眇めた男は既に興味がないとばかり言葉を投げ捨て、視線を再び海上へと戻す。
「早くアンタが打ち上げる花火を拝みたいもんだ」
潮の香りが鼻を付くその場所で日差しを浴びて輝く銀色の髪をなびかせた男────毛利元就の後ろ姿を見つめ、香車はそっと笑みを深めた。
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有崎城を出立してから摂津の国境を越え、山城国で行きと同じ宿に一泊した後、朝から再び馬を走らせて半日と少し、二人は相変わらず二人乗りの状態で安土への帰路を辿っていた。
長閑な景色が視界を横切る穏やかな道行きを辿りながら、凪は数日間の事を思い返す。
本能寺の変の翌々日、安土を強制的に発ってから今日までで実に五泊六日もの間、光秀とほぼ二十四時間共に居たのかと思うと、さすがに驚く。