第3章 出立
「私は、自分が笑いたい時に笑います…!今はその時じゃありません」
「ほう…?」
そもそもこんな色々と突拍子もない状況且つ、自分が何者か探られ、あるいは疑われているような状態で無邪気に笑えるほど能天気ではいられない。自分の身を守れるのは、この乱世の中では自分だけなのだ。
せめて強気でいなければと言い返した凪のそれに対し、光秀は特に気分を害した様子もなく、寧ろそれどころか感心した様さえ覗かせ、短く相槌を打つ。
軽く瞠った金の眼に、初めて純粋な興の色をちら付かせ、やがて静かに言葉を零した。
「ではお前がどんな時に笑うのか、楽しみの一つとして精々見させてもらうとするか」
────────…
安土城下を抜けると集落の姿は見えず、自然と出来たあぜの街道が延々と続いている。町の喧騒が消え去り、自然の音だけが響くそこは酷く静かで穏やかだ。葦毛の馬はまだ体力が尽きていないのか、元気に地を蹴り続けて小気味よい蹄の音を鳴らす。
出発してから恐らく感覚的には四半刻程か。馬上で思い切り光秀によって尋問されるかと身構えていた凪だったが、思いのほかここまでの道行きは静かなものだった。
わざわざ余計な話題を出して下手を打ちたくないので、凪自身も黙って景色を楽しんでいたが、背後が静かなのも気にはなる。
(もしかして光秀さんって、元々はそこまでお喋りな方じゃない?)
これまでの印象から、完全に光秀=意地悪という方程式は完成していたが、それらはあくまでもこの男の側面であるかもしれない。
なにせ、自分はまだ明智光秀という男と接しておよそ1日半程しか経っていないのだ。
(寧ろ多弁な時は何かを企んだりしてる時…とかだったり?)
恐らくこの男は驚く程に頭がキレる。そんな人物が自分を不審に思っていない筈はないし、信長に験担ぎとして城に迎え入れられたものの、それを本当に真に受けて今回連れ出したわけではないだろう。だが、意地悪な言い回しこそされるものの、それは口汚い嫌悪や嫌味が混ざったものではなかったし、今のところ雑な扱いをされたわけでもない。
(なんていうか、とことん不思議な人だなあ。…意地悪なのは間違いないけど)
「…小娘」
遠くの景色を見ながら光秀に関して何気なく思考を巡らせていると、不意に耳朶を低い音がかすめた。
「なんですか?」