第8章 摂津 肆
ちなみに光秀は当初手当てなど要らないと言っていたのだが、今度はそれを凪が頑として譲らなかった上、自分の所為でついたようなものだと落ち込み始めてしまった事もあり、彼の手当てもすっかり済まされている。
頂いた練り羊羹を食べ終え、湯呑みへ口を付けていた凪だったが、ふと思い出した様子で光秀へ振り返った。
「そうだ、光秀さん。八千さんの話なんですけど…」
「どうした」
湯呑みを置き、片膝を立てて張り出しの床へ座ったまま柱へ背を預けている光秀の元まで近付くと、凪もその傍で腰を下ろした。
二人があてがわれた部屋は中庭に面した静かな一室で、縁側へと出ればそこからは整えられた見事な庭をのぞむ事が出来る。
城の中を掃除している女中達の声や城を整備しているのだろう有崎城の家臣達の声が遠い喧騒となって聞こえる程度の、中心部からは離れた場所だ。
「あの人、私に門徒達を導いてくれって言ってたんです。一向宗の悲願である、信長様を倒す為にって」
「…ほう、あの一向宗か」
凪の言葉を耳にした瞬間、光秀の目元が鋭さを帯びる。
何処となく納得しているようにも感じられる声色で頷き、片腕を立てた膝の上へ腕を乗せ指先を顎へ添えた。
「十年間戦って、酷い事した挙げ句、あの人から寺を奪ったって。その…あの人っていうのは誰かは分かりませんけど」
「なるほど、そこまでの情報があれば糸を辿るのは容易い。あの人とやらにも検討はつく。……ところで、凪」
縁側で正座している凪が僅かに俯かせながら口にしたそれを耳にし、既に合点がいったらしい光秀は自らの顎へあてがった手をそのままに口角を微かに持ち上げ、鼻で短く笑ってみせる。やがて、一度沈黙した後で視線を凪へ向け、彼は笑みを消すと真顔のままで彼女の名を呼んだ。
「…はい?」
いささか間の抜けた様子で黒々とした眼を瞬かせた凪が返事をすると、光秀は顎へあてがっていた手を下ろし、真摯な眼差しを向ける。
「お前、どうやってその情報を得た。まさか八千殿が世間話のように一方的に語って聞かせたわけではないだろう?」
「それは…」
「言え、口を割らないならお前が自ら言いたくなるような事をしてやるとしよう」
「え゛」