第8章 摂津 肆
「なに!?」
思いも寄らぬ方向から飛んで来た矢に動揺し、刀を思わず手から取り落した男の隙を光秀は見逃さない。
凪の声を受けて右へ翻した身体を回転させ、その拍子に鋭く打ち込んだ鳩尾への一撃で一人打ち倒し、丸腰になった男へ更に踏み込むと腰を落とした体勢のままで刀の柄を腹部へ叩き込んだ。
「見事な一射だな、後で褒めてやるとしよう」
そうして周りに居る男達を次々に打ちのめしていき、やがて全員が地に伏した状態になれば、剣撃の音が幾つも響き渡っていた森は次第に静寂を取り戻す。
ぐるりと視線を巡らせ、辺りの気配を確認した光秀は敵の気配が完全に絶たれた事を確認した後、血が一滴もついていない刀を鞘へと収めた。
「光秀様…!」
そうして立っているのが凪と光秀だけになった空間に、切羽詰まった一人の男の声が響き渡り、その相手を確認した光秀は口元を微かに綻ばせ、視線を流して肩を竦める。
「せっかく駆け付けてくれたところすまないが、既に事は済んでいる。お前は城へ行き、兵を呼べ。この者たちを捕える」
「め、面目ありません…!急ぎ城へ向かいます…!」
凪の護衛を任せた八瀬がそこそこ満身創痍で姿を見せた事から、果たして何があったのかは大まかな察しがついた。
特に部下を咎める事なく飄々と言ってのけた光秀の命に頭を深々と下げ、八瀬はそのまま急ぎ足で有崎城へと向かい、走って行く。
部下の背を軽く見送った後、光秀は左二の腕の傷に構う事なく視線を凪へと向けた。
弓を手にしたまま、ただ呆然とその場に立ちすくんでいる彼女は真っ直ぐに光秀を見つめていて、動く気配がない。
足取りを僅かに早め、凪の前まで近付いた光秀はいまだ力強く握られたままの弓を一瞥すると、両手を伸ばして彼女の小さな手を包み込んだ。
「ッ、」
「もういい、力を抜け」
包み込んだ拍子に、ひくりと小さな手が震えた。
短く息を呑む小さな音が鼓膜を打った事に気付いた光秀が低めた穏やかな声をかけた瞬間、指先から強張りの消えた凪の手がゆっくりと開かれる。
カラン、と乾いた音を立てて二人の足元に弓が無造作に落ちた。